utsurogi

空木(うつろぎ=中が空っぽ)ながら、多岐多様に詰め込んで勝手なことを吐き出して…。

まとまりなく

(ただの日記)

 

まだまだ運気低調の領域から抜け出せていない。
果たして抜け出せるのかも全く分からない。

先日のミスに関しては私自身の取り越し苦労だったことが判明し、連休だった為2日間も無駄な精神の消耗をしてしまったことが、なんだか悔しいというか、自分自身に若干の怒りが…。
でも、結局は、あの理不尽な対応をまた受けなくても済んだのでよしとしようと思え、それでまた普通にやっていくはずだった…。

 

 

が、一昨日、昨日と、いつもよりなぜか異常に眠気が襲ってきて、さらに肉体的な疲労もいつもより強く感じ、体調コンディションが自分でも意外なほどよくなかった。

さらに、ここ最近は腰痛も復活。あの太い針でグイッと突くかのような?(自分でもそんな体験したことないのでこの表現があってるか分からないけれど、でも単なる“ズキッ”って感じじゃないんだよなぁ)何とも言えない嫌な痛みが時々あり、何とか腰の負担を軽減しようとちょっとだけ体を動かしてみたり、叩いてみたり(これは痛みを散らすだけだけど)、姿勢が悪くならないように気をつけたり…しているが、あまり良くはなっていない気がする。

はぁ、いろいろといっぺんに起こるものである。

そう、「物事は続く、重なる(類は友を呼ぶ)」という原則があるから仕方ないのだけれど、でも気は滅入るものである。

そして、そんな悪条件の中、早朝の仕事の後、昨日も必死に睡魔と格闘しながら昼からの仕事をしている中で、久々に明らかなミスをやらかしてしまった。。。

自己嫌悪。

自分でもちょっと慎重さが欠けていたと思う部分もある。
基本、概ね、それまでと同じように取り組んではいたが、時々、慎重ではなかったかもしれない。もう、目を開けてじっと待機することに全神経を集中させていたと言っても過言ではないほど、業務の暇さと睡魔と闘っていた…。

あー、また上の人間に好餌を与えてしまった…。

これでまた私は不遇期間延長が決定だ。

殆どの物事はどうでもよくて、気にせず、残りの人生はマイペースでやっていくだけの私なのに、なぜ、あの部署のあの上の人間たちの理不尽な対応がまぁほどほどに気になるのか…というのを、ふとこの間考えて、すぐに答えが見つかった。

私は、上のような理由で、目立たず、地道に、密かに淡々とマイペースで生きていたいと思っているのだが、変な反体制、反権力精神やらちょっとばかしのプライド、主義などが顔を出してしまう時があり、それが相手を刺激して、結局、今回は自分が回避したいと思っている“目立つ”存在にさせられてしまっているという自覚があり、だから頭の端から消してしまえずに、なんだかんだと結局気になっている部分があるのだ。
目立ちたくない人間が目だたされている、というのが一番自分が落ち着かない原因だろうと。

色んな人間の理不尽さ、横暴さ、などは、もうどうでもいい部類のことではあるのだが、それは自分が人の影に隠れて、隅っこのほうで自由に生きていられる時に言えること?で、自分が自分で心地いいと思える立場にいない時は、どうでもいいことでも多少は気になってしまうのだろう。

 

上の人間がまた私を不遇に扱うことそれ自体は別にいいと言えばいい。
全く気にならないわけではないが、そのこと自体に関しては所詮瑣末なことである。
私は私だ。

ただ、明らかに自分側にも落ち度があり、それが相手を有利にさせてしまったことに対する自己嫌悪、反省心から、自分に対しての悔しさ、怒りがあり、いつも出来ていることなのに、なぜ常時、どんな時もそれが出来なかったのか…と自己批判に向いてしまう。

ま、とにかく、過去のことを嘆いても仕方ない。

後悔先に立たず。

またゼロからやり直しだ。

 

*****

 

意外なことを聞いた。

集団、群れ嫌いでもあるし、同期もいなくなったこともあり、孤立、独立でほとんど“同僚”と会話もしない私であるが、わずか数人だけほんの少し会話する人がいる。
その中でも最も会話量の多い方から、退職者の話題を聞いた。

ほとんど交流が無く、たまにロッカーなどで顔を合わせて、話しかけてくださって軽く会話したり、もうある程度の期間が経つのにいつも一人で職場まで行き来する私が、唯一一人、一度だけ話ながら一緒に戻ったことのある、年長者で先輩でもうかなりの年月そこで働いておられた、とても人あたりの良い、優しい女性も辞めたと聞いた。

ほとんど会話らしい会話をしたことがないのに、何かこちらの状況を読み取っているかのような労い、慰めの言葉をかけてくださったのがとても印象に残っている。
こんな方もいるのか…と少し励みになった。

少し前から顔を見ないな、声を聞かないな…と思ってはいたのだが、まさか辞めておられたとは…。率直に淋しい。

他にも、その人個人としては悪い人ではないのはよく分かっているが、ちょっと独特のクセのある人であり、私にとっては“鬼門”のような中間管理職的な立場だった人もいなくなっていた。
はっきりいって、その人は、今の私の立場に結構影響を及ぼした人なので、「えー、やりっ放しかよ」と、内心思ってしまった。

どうせ辞めるなら、私の立場を元に戻すように何か計らってくれてから辞めてもバチは当たらないんじゃないの?とか思ってしまったww

ま、もういいけれど。

しかし、“人間的には悪くない”という評価は、その方が結構実は“人情派”であるというのが会話の端々から感じ取れたからである。

先の優しい女性もそうだが、“普通の感情”を持っている人にはあの部署は相当“キツい”と思う。

冷淡に機械的、事務的にやっていけるか、その先の先に自分を持っていき、仕事として割り切ってその場をやり過ごせるほどの、ある意味、もっともっと冷徹というか達観した人くらいしかやっていけない。
もしくは何も考えずにいるか…。

ほとんどの人は圧倒的にこのパターンだと思う。
ただの契約(バイト)だから、適当にやっておけばそれでいい。
私もほぼこの考えに近い。

でも、ふとまともに、常識的に、当たり前の感覚、感情を持って考えてしまうと、絶対に無理だと思う。

それをするかしないかだろう。

先の優しい女性とたった一度まともに話したその時に、これまで長年働いてきたあの職場での苦労を掻い摘んで聞き、それでも「他に出来ることがない、年齢的にも難しい…(だから辞めずに続けている)」というのを言われた時に、私は「そんなことはない。そのやさしい語り口と明るく暖かな雰囲気と…等々で接客とかはピッタリじゃないですか」とすごいプッシュしてしまったのだが、今思えば、その時の会話が退職への後押しとなったのではないか…と若干心配になったり…。

しかし、ずっとずっとストレスを抱えながら、悶々としながら続けてきたというのを考えれば、ここで区切りをつけられたのは、ある意味良かったのではないかと思う。

紛れも無い“前進”だとも思う。

ときどきホッとさせてもらえる貴重な人がいなくなって、私は結構淋しいが、でもまぁ、何とかもうしばらくはやっていこう。

下手をすると、もっと我慢してやっていかなければいけないかもしれない。
ようやく、重要作業に着手して、改めて自分の危機的な立場が明らかになり、そんな“我侭”?など言っておられる状況じゃないと気付きつつあるからだ…。

 

ホント、貧乏人はつらいよ。

 

自分も全方位的に色々困難に囲まれているが、この国、日本ももう殆ど危機的だ。
脳天気に毎日適当愉快に暮らしているのはバカな政治家と官僚、大企業の幹部等々くらいだろう。

アメリカも大変だしな。

 

ふむ、こう考えてみれば、みんな危機的ではないか。

なんだかちょっと安心してみたり。

あの部署内のあの上の人間達の振る舞いなど、ホント些細なことなのだ。

いつもこんな風に思っていられるほど、まだ私は度量が大きくないということか。
終生、人間修業中である。