大層なこと
そんなに大層なことは、この世の中に一つもない。 大概笑ってごまかせることだ。
── 森繁久彌
びっくりした。
いつからだったか、うーん、たぶん4、5年前かな。
私もこの境地に辿り着いてしまって、本当に殆どのことについて“おおごと”には思えず、“大したことない”と考えて流したり、処理している。
この境地に達した時点から(今でもそうだが)、“私にとって大したこと”は、もう“母親の死”くらいしか無い。それ以外は自分のこと含めてみな“どうってことない”ことにしか思えないし、事実そうだと思っている。
だから、誰かが何かに対して感情的にギャーギャー言っていても、表面上、コミュニケーションマナーとしては合わせて、話を聞き、相槌を打ち、相応の応対をしているが、内心“そんな小さなことは実はどうでもよい、気にする必要のない、ちっぽけな、些細なことなんだけどね”と思っていたりする。
なんたって、地球が誕生して50億年ですから。
この人間世界で起こることなんて、みな有り得る話で、生死に関わることだとしても、まぁ、人はいつか死ぬわけだし。輪廻転生もあるわけだし。因果応報もあるわけだし。
原発もアベノアホ法案、もとい、「安保法案」も、TPPも、…etcも、日常の社会生活上の身近な問題としては、ある程度の“重み”はある。だから反対運動もするし、抗議もする。でも、根本的には所詮はすごく小さな、ごく限られた時間、空間枠で起こっている事象だなと思う反面、それでも、“戦争”だけはちょっと別格には捉えている。
あれはやはり本当に悲惨だと思う。
人間のありとあらゆる醜態、闘争本能、潜在的残忍性、愚かさを表出させる。
あの状況は生き地獄だと思う。一生消えることのない、癒えることのない禍根を双方に残す。戦争だけは別だと思っている。
だから、世界各国のあらゆる“戦争”(紛争?)については、本当に早期解決を望んでいる。
話が広がったが、今回の記事の主題は、森繁さんに先日興味を持ったが、調べているうちに、なんと同じ考えをしていたという意外な共通点を発見し、すごく身近に感じて、興味を抱いた(渥美清さん同様、前から気にはなっていたが)“理由”が分かったような気になった。不思議なご縁を感じた、と言う話。
亡くなってしまって本当に残念。私の気になる、好きな、尊敬する人は皆、もう他界しているか、高齢者。ちょっと、焦り気味に色々お勉強している。
もう一つ、氏の言葉で気になったものを。
演技も人生も、几帳面にやらず、すこしボケるのがコツ。
すべてを承知している人だからこそ、少し下がって全体を見て、余裕を持ちながら、気遣いながら、力を抜いてやると。また、色々な経験による心の負荷を、その対象から一定の距離を保つことで、自分を客観視することでバランスを保てているのではないかと…。
直接的な生きる知恵と、その裏の意味とを勝手に感じ取ってしまった。
やはり、戦争体験者は少なからず、というか、必ず、何かを背負って生きていると確信する。
そういう意味で、人間としての深さが滲み出ていて、私は戦争体験者(世代)の方々に強い共鳴と敬慕の念を抱いてしまう。
全く無関係だけど、最近、胃が不調というか、食欲ないし、胃が気持ち悪い。別に全然ストレスとかないんですけどねぇ…。なんだろうなぁ。
店の経営が不調なことを、一店員ながら、実はかなり気に病んでいるのだろうか…。マジで危ないもんねぇ…。