utsurogi

空木(うつろぎ=中が空っぽ)ながら、多岐多様に詰め込んで勝手なことを吐き出して…。

情念

 先日からずっと「集団的自衛権」から離れられずにいる…。嘆息。私の貴重な時間をどうしてくれよう、という思いである。

 各地でデモがあり、東京では規模の大きな集会&デモが6月17日にあるし、54年前の今日、日米安保闘争で死者まで出た6月15日にも新宿でデモがあるらしい。東京在住なら、仕事が無ければ迷わず参加する。でも、どちらも条件が整わず、行きたくても行けない。だから、私の分も、どうか東京近郊住まいで今日は仕事が無いという人にはデモに参加して、アベに抗議の意思表示をして欲しいと切に願うと共に、ここから“念”を送りたいと思っている(w)。

 

 私はほぼ新聞もテレビも見ない生活をもう十年以上続けているので、ニュースの類いはネットからしか知ることがないのだが、今回の集団的自衛権、アベは「祖父の念願」とか言っているとか…。ちょっとネットで調べたら、それは前回の第一次政権の時から言っていたらしいが、私は311前までは日本のことにはほぼ無関心で生きてきたので全く知らなかった。

 で、その「祖父(岸信介氏)の念願」。憲法改正して集団的自衛権行使容認への道だが、そんなの国民の殆どが望んでもいないのに、自分の親族や一部の人間(右向きの政治家、企業家、国民)の念願だからって、その他大勢の国民を無視して勝手に決めないで頂きたい、という風に思った。

 そんな“個人的”な望み、願いを叶えるために私達を利用するな、と。

 あなたが自分の望みを叶える為に私達を犠牲にするなら、私達一人ひとりの望みをあなたが資金提供するなり何なりで叶えてくれるのか、と。(ちょっとだいぶ飛躍気味な言い分なのは分かっているが、アベの横暴を見ていると感情的にもなるというものだ)

 それくらいしてくれるなら、GIVE & TAKEで公平にしてくれるなら、ちょっとだけ考えてあげてもいいかも知れない(いや、考えないけど…w)。

 だけど、税金上げて、年金削って、本当に必要な人達の生保も削って、社会保障サービスの質を低下させ、中小企業に勤める大多数の労働者や非正規雇用者などの給料は上がらないのに物価が上がるなど、一般庶民の暮らしを苦しめることにばかり注力する一方で、大企業の法人税は下げますだの、国内の雇用環境を改善する前に国家戦略特区だかなんだか知らないが、外国人が働きやすい環境を作ったり、原発事故問題先送りにしておきながら、他の原発を動かそうと企んだり……。もうやることなすこと支離滅裂で腹立つことばかり。

 本当に考えれば考えるほど「なんなの?このヒトは????」と思ってしまう。

 「成人」「成蹊」の『成』の字もろくに書けないヒト。『成』は小学4年生で習う漢字ですぜ。

 法学部卒業しておきながら「立憲主義」「憲法」「法律」の意味も理解できないヒト。

 

 こんなヒトが自分の国の一番上に立ち、諸外国とも対等にやりあっていかなくてはならない本当に重要な立場にあるヒトだなんて…。もう悲劇としかいいようがない。

 

 特定秘密保護法の時も、議員にFAX送ったり、アベにだってFAXやフォームから意見送ったり、デモに参加したりしたけど、みんなの努力も必死の抵抗も虚しく、あっけなく成立してしまった。。。

 今度はあの時の二の舞にはなりたくない。もう嫌だ、これ以上、と思うけれど、自分としては、本当に抑止になる効果的な方法、手段が今一つ分からないでいる…。20日に決めるって言っているらしいが、あと5日しかない。

 私が東京にいたら…。がんばって1回くらいはアベの事務所とかに抗議に行きたい気がする。もっと戦略的に他の議員さんに頼み込んでいって、外堀を埋めるほうがいいのか…。うーん、難しい…。でも………。

 

 そう、一つ分かったのが、“情念政治家・アベ”のあの説明を聞いて、さも集団的自衛権が“自国防衛”に関わる問題のように捉えてしまったヒトがいるということ。そして、その典型が先の知人だったということ。

 どうやら、アベはわざと?「集団的自衛権行使しないと、攻めてこられても皆やられるばかりで無駄死にしてしまうんですよ」みたいなことを言ったらしいことがどこかに書いてあった。なんたる詭弁。

 

 あーー考えれば、考えるほど、腹が立ってきて、憎たらしくなってきて仕方ない。

 

 

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 もうこれしかない。

 

(参考:

安倍政権NO! 集団的自衛権NO! コンビニプラカをもってデモに行こう!!|一日一回脱原発 & デモ情報in大阪 )

 

 

 

ボソッと…(集団的自衛権)

 自分もあんな議論をするまで、そこまで深く知識を吸収していたわけでもなく、ただ、常々、アベの唯我独尊、独裁ぶりに腹が立っていて、しかも、“面倒、厄介だから”正当な手続きを踏まずに、これまた自分の手下どもだけで内々に会議して決めてしまえっていう横暴ぶりに、なんだか日本の未来に対する危機感というか、確実に今より庶民の暮らしは悪くなるという予感が膨らんで、とにかく色々と筋が通らないので反対していたのだけれど、改めて、アベの言う集団的自衛権行使容認に賛成している人を間近で見聞きすると、「へぇー、こんな風に支持しているのか…」と、ちょっと新鮮というか、驚きというか、勉強になるというか…。

 

 その場でも色々知っている限りの知識を総動員して説明したけれど、改めてきっかけを与えてもらって、昨日の休みはほぼ丸一日、集団的自衛権のお勉強をしていた。

 で、やはり、「賛成派」さんの理屈は間違っていて、相当誤解が含まれていたことを再確認した。

 私だって、昨日勉強するまでは曖昧な部分が多々あったし、ニュースで報じられているとか、ニュースサイトでちょろっと特集が組まれているとか言っても、もう6、70年戦いから離れているこの日本で現実味に乏しい議論を突然されても、あまり感心が向かず、世論調査で「わからない」と答える人が一番多いという状況がそのまま国全体、国民みんなの素直な思いなのではないかとさえ思う。

 でも、そこを、国民がわからなくて迷っていて、明確に反対の意思表示をするところまで意見がまとまっていないことをいいことに、アベはやりたい放題しようとしている。それが一番腹が立つ。

 よく言われているけれど、あの人の頭には民主主義とか立憲主義とかの文字は無いのだろう。

 とにかく、「賛成派」さんが心配する「やられてもやり返せないのは嫌」ということに関しては、あの時も説明したけれど、心配ご無用でございます。今のままでも十分“やり返す”ことはできます。そんな無用な戦い(=犠牲者発生)はそもそもしたくないけれど…。それを防ぐのが政治家の仕事だろうと思うけれど…。

 今、アベが本当にしたいのは米を守ってあげたい?米にひっついて、米と一緒に戦って、米に「よしよしエラいね」って言ってもらいたいだけでしょ。最終的には。でも、どうやらもう米はそういう思惑は持っていなさそうという話もあるようだけれど…。お気の毒なアベさん。

 でもなぁ、なんだろう。本当にあの言いっぷりでは“集団的自衛権行使しないと、攻めてこられてもやり返せない”と思っていそうで、そんな誤解でアベを有利にさせてやりたい放題させるのなんて絶対止めないと…と思ったけれど…。

 今までの私のイメージでは、あんな反論はしなさそうなのに、絶対に譲らなかった態度を鑑みて、ちょっと集団的自衛権について調べ直してみて、自分の考えが間違っていたことに気付いてくれたらいいのだけれど…。

 

 色々記事を読んでいた中で割と賛同できたのが、周辺の脅威に対しては、武力防衛を先に考えるのではなく、安全保障政策をしっかり行うことが重要という意見。ホント、その通りだと思う。でも日本の外交って、どうなんだろう。なんだか頼りないイメージだけど…。いや、でもそこをしっかりしてもらわないと困るわけだ、兎にも角にも。

 ある人によれば、軍備的には日本の自衛隊はそれなりに力を持っている様子。なら十分でしょう。日米安保も口だけかもしれないけれど、一応核の傘の抑止力はあるだろうし…。ホント、無駄な争いを作り出す必要は無いし、作り出さないようにするのが“常識ある大人(国)”の態度だと思うのだが…。なんで、「やられちゃうー!」としか思わないのだろう。。。ちょっと偏見、思い込みが強そうな気はしたが…。まぁ、私もかの国々の言い分、態度は殆ど??な感じで理解すらもできない部分が多分にあるけれど、そういうのに付き合って、同じレベルにまで下がってやり合っていくのではなく、“大人”の考え、態度で、“国際社会”の枠組みの中で、上手く振舞っていけばいいんじゃないだろうか…と思うけれど、これは超々平和主義&左寄りな楽観論でしょうか。

 

 でも、こんなところでぐだぐだと反対意見書いていても仕方ない、流れを変えられないことは重々分かっている。なんでもかんでもアベのやりたい放題にこの国は変えられてしまう。消費税も10%にされても、みんな素直に受け入れるんだろう。大っぴらに武器売って商売にできるよう武器輸出三原則も変わってしまった。移民法も成立してしまった。秘密保護法だって、TPPだって…。多くの国民の知らないところでいろんなことが、一部の企業、人間だけが利する環境が着実に整えられていって、気付けば庶民の首は絞まっていく一方という…。

 あーあ、誰だ、アベ自民党に投票したのは…。

 

 

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以上、ただのひとりごと。

 

もういっちょ

 ちょっと気になったので…。

 以前、自分の子どもの入学式に出席する為に、教師の仕事を休んだ先生のことが話題になった。この件、私ははじめ親からの伝聞で出来事を聞き、何の根拠も無く即座に「自分の子どもの(小学校)の入学式に出席する為に、自分が担任する(小学校)の新一年生の入学式の日に休暇を取って休んだ」と思い込んだ。そして、この件で有名教育評論家がバッシングされているというのも聞いた。

 そこで、「なぜバッシングされるのかが分からない。“小学一年生”の入学式なんて(他の中学、高校と比べて)入学式の中でも相当大事な感じがするが、それを休むのは私もちょっと疑問に思う。自分の子どもの“小学校の”入学式もやはり相当大事だとは思うが、どうしても母親が行かなければならない事情があったのか。大事な子どもの小学校の入学式というなら、同様に大事な入学式を実施する勤務先に出勤することを是として、父親が代わりに行くとかいう選択肢はなかったのか」と思って答えた。親はどちらかというと、休暇賛成派だったようで少し反論に口ごもっていた。

 しかしどうして、蓋を開ければ、この先生、自分の子どもも担任する子どもも共に高校一年生というではないか。そうとなれば、まぁどうでも好きなようにしておくれ、というのが私の率直な感想だった。

 高校一年生ともなれば、特別、担任の存在が大きいわけでもなかろう。下手をすれば、もう少しで結婚もできてしまえる年齢だ(女子は)。それだけもう世の中では半分以上大人として認められているわけで(現制度上は)、そんな小さなことでゴタゴタ言っているような器では困るというか…(私は厳しい人間なので余計に…ね)。

 さらに、“高校一年生の親”(即ち、それ相応の人生経験を積んだ、一定の年齢に達しているであろういい大人)が、入学式に担任が休んだことくらいでごちゃごちゃ言うほうがおかしいんじゃないの?と思った。この時点で、有名教育評論家さんとは意見が別れることになる。が、根本的なところでは、私は有名教育評論家さんと同意見である。基本、“先生”という仕事の重要性、責任の重さは他の企業勤めの人のそれとは比べ物にならないと思っている。何たって“聖職”でございますから。ま、今の“先生方”がどれほどその責任を自覚して教員資格認定試験に臨んでいるかは知る由も無いが…。

 で、私の中では“今回のケース”に関しては“些細なこと”として決着していたこの件について、今日興味深い記事を読んだ。

 日本に住む外国人さんの記事として掲載されていたその中に、いくつか腑に落ちない点を見つけてしまったのだ。

 

 

近所に住むフランス人の友人は子持ちではないが、この反応にひどく失望していた。日本の出生率が低いのも当然だ、と彼は怒って言った。「職務は家族より大事というのが行政の公的立場なら、子供を持つ親が増えるわけがない」

 ふむ、これをどのようなケースに於いても100%押し付けられているのなら、その通りだと思う。同感である。

 

日本人の倫理観の根底にあるのは、義務や役割を果たすことを強調する儒教の伝統だ。平穏で安全で秩序正しく、効率がいい日本社会に、外国人は目を見張る。あらゆる職業の日本人が示す自己犠牲や勤勉さ、献身には畏敬の念を抱く。このように義務や職責を重視する倫理観には多くの利点がある。

 今まで“感覚”で理解していた日本人の国民性を的確に説明していただき、スッと靄が晴れた気がした。まさにこれこそが日本人の美徳の一部分にして最大の側面であるように思う。私もまさにこういう嫌いがある。まぁ、だからといって同じように日本人の特性とされる農山村部のムラ社会特有の“和”を重んじるというところはほぼ無いに等しいがw。

 

それなら欧米人はなぜ、義務感に基づいて行動を決めることがずっと少ないのか。その理由は「義務」の概念が絶対視され、他のあらゆる行動原理より優先されると問題が起きるからだ。

私の友人のようにサルトルなどの実存主義に強い影響を受けたヨーロッパ人は、役割や職責や義務が人間を定義付けるとは考えない。人間は完全な選択の自由を与えられ、その選択に伴う最終的な責任を負うと考えるのだ。

  “完全な選択の自由”。これがミソだ。“その選択に伴う最終的な責任を負う”。責任を100%負うのなら誰も文句は言うまい。だから、別に好きなようにやればよい、となる。興味深いのは次の段落。

 

これはホロコーストという悲痛な歴史的経験に裏打ちされた価値観だ。ユダヤ人を絶滅収容所に送り込んだドイツ軍兵士の多くは、自分の行為を「職務を果たそうとしただけ」と説明していたからだ。

  “職務”の下に“正義”、“倫理観”、“道徳”、“人道”があったと。それを反省していると。そして次の段落でさらに興味深いエピソードを教えてくれた。

 

皮肉なことに、欧米人に特有のこの価値観は、日本人外交官の杉原千畝が日本国外で最も敬愛される日本人の1人になった理由でもある。ナチスによるユダヤ人迫害が進むなか、杉原は日本の領事代理としてユダヤ人にビザを発行し、多くの人命を救った。彼は職務規定を破り、義務より愛を優先させた。自分の行動を職務ではなく、人間としての選択に基づいて決めたのだ。

  と、“義務より愛を重んじ”、“人間としての選択に基づいて行動”したことで外国人に最も敬愛される日本人となった杉原氏を紹介している。

 

もちろん、仕事を休んでわが子の入学式に出席するという教師の選択は、人間の生死に関わる困難で英雄的な選択とは次元がまったく違う。

全く以てその通り。同列に語られるべき内容ではない。しかし、

 

生徒たちは、この教師が自分の親と同様にわが子を愛し、自分の親と同様にわが子を支え続ける決意であることを知るだろう。教師は1人の人間であり、単なる職業ではないことも学ぶはずだ。私はこういう教師、愛がすべてに優先することを身をもって示せる人にわが子を教えてほしいと思う。

  と、やはり本質的な部分で同一視しているような気がする。特に“愛がすべてに優先することを身をもって示せる人”という部分。

 

 ここで言う“愛”とは自分に向けられるものではなく、あくまで“他者”なのだろうか、身内も含め。私も、自分自身でとても飛躍した比較だとは思いつつ、先般の韓国船の船長、船員たちのことがふと頭によぎった。

 “完全なる選択の自由”に基づいて、自分への“愛”を優先して行動した彼らに対しては、もちろんその選択の結果に対する責任が彼らにのしかかるので自業自得で問題無しとなるのかもしれないが、これについても良しとなるのだろうか。

 自分のクラスの新入学生=乗船客を見捨てて、自分への愛=自分の息子への愛を優先して行動したのと、違うようで似ている部分もあるのではないだろうか。まぁ、やはりそうは言っても、人命の係ることと、たかだか1時間程度で終わる単なる儀式とを比べるのは間違っているのかもしれないが…。

 でもしかし、自分の仕事に対する職責とは…という問いが完全に消えるわけではなく…。

 

 これは今まで、ずっと思っていながら一度も人に言ったことも、書いたこともないが、私はその“職責”ということを、なぜかある時から、気付けば酷く意識するようになっていて、自分は絶対に電車の運転手、バスの運転手、タクシーの運転手、トラックの運転手、飛行機パイロット、船の操縦士…等々は出来ない、したくない(実質技能的に無理なものが殆どだが…w)と思ってきた。

 何十、何百、何千の人の命を預かるなんて荷が重過ぎると。その思いは大きな事故のニュースを聞くたびに強固になり、実際にそういう職業に就いている人達に対して「すごいなぁ」とただただ感心するばかりである。

 私の変なところは、変に想像力が働いてしまうところかも知れない。例えば、もし自分が運転するバスで事故を起こして、乗客が重い後遺症を患ったり、死んでしまったりしたとしたら、その人の家族のことを考えてしまう。働き盛りの年代の人ならば、子どもの進学に影響するかも知れないし、その家族の未来図が一瞬にして全く塗り換わってしまう。そんなことが起こりうる1%の可能性をも含んだ仕事など、私には出来ない。自信が無い。人間は完全無欠ではない。過ちを起こす。ならば、その過ちによる影響が最低限で済むような生き方が自分には相応しいし、それしかしたくないと思ってしまう。見方によれば、ただの根性無しなだけかもしれないけれど、でも、私は人の、それも何十人、何百人、また、その何十、何百人がそれぞれに抱える何人分もの人生も合わせた果てしない数の人間の人生を背負うほどの力も精神力も何も持ってない。ラッキーなら、自分が死ぬまでそういう重大事故には遭わずに平和に勤め上げられるかもしれないが、人生、いつ何が起こるかなんて誰も分からない。

 

 はぁ、とにかく、私には人様の人生を預かるなんて大それたことはできないと。ま、たかだか入学式で、命云々ではないから、関係ないと言えば関係ない話だが、でもしかし、この先生は“家族への愛”を優先する先生は、やはり、自分の教え子よりも自分の子どもを真っ先に救うのだろうか…。そして、それを当然だ、立派だ、と外国の人は賞賛するのだろうか…なんてことも思ったり。

 自分の中にある答えはどうやら世の中とは違うらしいということくらいで、何が是で何が非なのか、明確に人に説明できるほど自分は達観できていないという結論で、これは締めくくることにしたいと思う。

 最後に一つ。こんな思いを持っている私だから余計に、アベが軽々しく憲法解釈変更だの武器輸出三原則変更だの原発再稼動だのアベノミクスだので強者優遇の世の中にしたりしようとしているのが、日本国民全員への責任など欠片も感じていないと思えて、いつもいつも腹が立って仕方ないのだ。

 

 本当に、あんな総理大臣早く辞めて欲しい。辞めさせたい。

 

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photo by Ruy Alvarez

  

 

教師は自分の子供の入学式を優先すべきだ | 東京に住む外国人によるリレーコラム | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

以上。

 

Hævnen

 『Hævnen』デンマーク語で「復讐」という映画を観た。
(英語タイトルでは「In a Better World」)

 邦題は「未来を生きる君たちへ」。どちらかというと邦題と英語のタイトルは似たようなイメージを含んでいて、どこか祈りや願いのような気持ちが表れているが、原題だけはもっと直接的な問いを投げかけている気がする。実際に作品を見た後で考えてみると、私は原題の方が相応しい気がした。現実はこんなに厳しく、生易しい世界ではないということを改めて自覚させられるというか…。その上で、どうかこれから先の、未来の世界が、今の子どもたちが暮らす世界、築いていく世界が、無意味な争いの無い、愚かな暴力と憎悪を生み出さず、復讐の連鎖も無い、可能な限り誰も罪深く、取り返しのつかないことを起こさないでいられるような世界、社会であり、善悪について正しく判断のできる善き人間になってくれ、と言うような…。

 

 復讐と赦し

 善と悪

 富と貧困

 先進国と後進国

 宗教と宗教

 民族と民族

 大人と子ども

 親と子

 身内と他人

 男と女

 夫と妻

 強者と弱者

 暴力と非暴力

 理性と本能

 親子愛

 男女愛

 生と死

 医療と尊厳

 強さと弱さ

 ・・・・。

 

 1時間30分程の短い中にこれだけのテーマが実は込められていた(と、私は思った)。なんて深い映画だろうと思った。いろんなことを考えさせられた。我が身に当てはめて考えてしまうことも幾つか…。今の日本や知っている範囲の世界の状況に照らして、無い頭で思いを巡らしてみたり…。

 

 目には目を、血には血で…。

 「復讐」の連鎖を止めるには…。

 もうそれは「赦し」しか無いのだろうと…。

 自分が正しいと思うこと、客観的に、道義的に正しいことを貫く強さを持つしかないと…。

 

 これだけの“深い”映画を、ぜひアベに見せてやりたいと思った。今、自分はどんな立場で何をしようとしているのか。政治という表面的な現実的な部分を振り返ってもらうのももちろんだが、あのヒトの場合はもっともっと根本的な本質的な“人間の在り方”について、この映画から学び取って、考え直してもらいたいと…。そして、ぜひその“こたえ”を胸に、今の立場に帰ってこの国を導いていって欲しいと。そして、かつて“世界の警察”などと豪語し、世界の平和を保つどころか、各地にわざと紛争の火種を撒き散らし、罪も無い多くの人々を苦しめて平気な顔している米に媚び諂うことなく、堂々と独立国家として渡り合い、こっちが世界の文明国リーダーになるくらいの気概で立ち向かって欲しい。

 なーーーんて、大袈裟に、でも結構本気で思ったりしたのだった。

 

 そして、ちょっとこの映画の製作陣が気になって見てみたら、
監督&原案:スサンネ・ビア

脚本:アナス・トマス・イェンセン

 

この監督さん、過去の作品を見たら、なんと思い出深い『しあわせな孤独』の監督さんだった。なんたる偶然。

 あの映画は私の中で印象に残っている、感銘を受けた映画の中の一つである。あの映画もちょっと複雑な人間関係が描かれており、恋愛観、価値観、死生観を問うテーマも含まれていたり、本当にしみじみ色々考えさせられた。昨日は、あの頃から特段、成長していない自分を振り返ってなんだか情けなくなったけれど…。

 

 スサンネ・ビアさん。

 今度は強く名前を覚えた。注目すべき監督さんだ。

 主役(と思う)の俳優さん、ミカエル・パーシュブラントさんも良かった。

 

 そして、この『Hævnen』はアカデミー賞ゴールデングローブ賞も獲ったらしいが、尤もだと思う。DVDの特典部分が観たくなって手に入れたいと思ったけれど、ちょっと今すぐには無理かな…。またいつかぜひ手に入れたい。

 

 昨日は充実した時間を過ごせて幸せだった。

 やはり私はメジャーな映画より、こうしたミニシアター系の作品が好きだなと再確認。

 

 

未来を生きる君たちへ [DVD]

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しあわせな孤独 [DVD]

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今日から6月ね…

 まだ半年までに1ヶ月残しているけれど、まぁ、ほぼ半分終わったも同じな気分。いろいろあった。誰でもそうだと思うけれど…。でも、3月までいたところと今のところじゃ精神的な負荷が全然違う。他の人は色々言っているけれど、私にしてみればどれも大したことはない。全く以て許容範囲内。何とかあと10ヵ月は続けていきたいと思っている。その先はまぁ、今のところは未定。よほどストレスに感じることや生活に不都合が無い限りは続けていけるかもしれない。まぁ、辞めたら辞めたでまた働き口を探さないといけないし、その手間、ストレス等々を考えれば、天秤にかけて今が上に上がれば居続けるだろう。

 正直、なんだかんだとあの場所で起きていることについて、一応、みんなに同調はしているけれど、内心では結構冷めた視点、厳しい評価をしている。世の中、そんなに甘くないんだよ、と。これくらいのことであーだこーだ言っていても全く人間的に成長できないよと。若い頃の苦労は買ってでもしろと言うけれど、苦労と言えるほどのことか…とも思うけれど、同じような経験はそこそこ人生生きてきた人間なら誰でも経験しているようなことで、いちいちそれに落ち込んで身動きとれなくなっているようじゃ、本当にこの先生きていけませんよと。

 でも、今、彼、彼女達にそんなこと言えば、傷口に塩を塗るようなことになるし、それほど親しく話をしている間柄でもない人間だから、当然、深い信頼関係も築いていないし、そんな人間から何か説教めいたこと言われても素直に受け入れられないだろうし、うざがられるのがオチだし、そんな風に思われるのは私は本意ではないし、だからまぁ、時がどうせ解決してくれるだろうから、表面的に同調して流している感じか…。

 ブラック企業と世間で問題になっているような所で働いている若者は、まぁ、大変なんだろうと思う。望んでもいないのに休み無しで働かされるとか、安月給とか安時給とか。お金が無くて事情があってなんとかして収入を確保するべく、時給労働者が休みなく働くのは利害一致で別になんとも思わない。私もそうしているし。でも、自分の本意ではない過剰労働を強いられている若者達は気の毒だとは思う。

 そういう場合は、そういう苦労は耐え続ける必要はないだろうから、さっさと辞めればいいと思う。よほど事情が無い限り、他でもいくらでも働けるだろう。生活の為と割り切れば何でもできると思う。見栄も外聞も捨て去り、生保に依存するのも一つの方法だろうし。無理矢理そこで働き続けることはないだろう。

 とにかく、私は結構厳しい。大声でみんなに聞こえるようにわざとらしく批判的ギャグ(のつもり)を口にするのも内心、(いい大人が)節度が無いと思うし、大声で大勢で騒ぎ立てるのは端から嫌いだが、それをやり続けるのも内心、疑問に思うというか幼すぎると思っていたし、喧嘩両成敗とは言うけれど、やはり、仕事場で取らざるべき行動を取ってしまった人間にも罪はあるだろうし、その原因を作った人間にも相応の罪はあるだろうから、両者にそれなりの罰は与えるべきだろうけれど、その点は片側だけへの対応しか知らないのでちょっと判然としかねていたり、能力的にまだ個人の努力が必要と思われる人物に対し、さっさと引導を渡したりするのはちょっとなぁ、と思ったり…。

 私はほとんど接触が無いながら、うっすらとそういう雰囲気は感じていたし、少し気になる部分もあったから、その部分をもう少し修正していかないと自分自身がしんどいだろうな、とは思っていたが、そんなに深く話すこともないので、実際のところを知らないし、適切なアドバイス、対応などができずにいた、というか控えていた。彼女には私よりももっと初期の頃から、大声でわいわい楽しく交流していた大勢の“仲間”がいたから、そういう人たちが彼女のことを考えて何かしら助言をしてあげるのではないかという、不安ながらも楽観視していた部分もある。でも、誰もしてあげていなかったみたい…。見るに見かねて、期限が差し迫ってきたこともあり、数日前から、ちょっと核心的な部分を探るように話してみたりするようにしてきたが、時既に遅し。。。。彼女は消えてしまった。

 会社も匙を投げてしまった。育てるに値しないという烙印を押してしまった。せっかく雇った人物、見込みがあると思って採用した人物、今までお金と時間をかけてきた分を回収しようと、本当なら思うところだと思うが、それすらも諦めてしまった様子。色々、残念で仕方無い。

 もっと彼女の資質、能力を判断し、適切な指導を行っていたら、いくらでも伸びるはず。でも、そこまでする余裕は無かった。個人に依存したけれど、若い彼女自身の方向性も方法もよく分かっていない状況、状態で独自に取り組む“努力”だけでは限界があった。当然である。もっと教えてやれよ。  難しい。私がもっと親しくしていれば、もっと早く気付いてあげれていたら、もう少しチャンスを与えてくれる状況に彼女自身でもって行けていたかもしれない。あともう少しだから、もうちょっと頑張るか?などと…。

 まぁ、しかし、彼女は若い。いくらでも、なんでも、可能性はある。とにかく、早く傷心を癒して、再起して欲しいと思う。新たな職場で大活躍することを心から祈るのみ。結果論では、あの子にはあの会社は適していなかったということ。それだけだ。

 先の可能性がもう殆どないオバサンは何とかもうしばらくここで頑張りますよ。あなたの分も…って感じかな。

 

さ、そろそろ用意しようか。

 

 

 

休み

 あと一日休みが欲しい。

 1.5日もあるんだけど、以前に比べたら全然マシなんだけど。でも社会派ドキュメンタリーを2本×2回見たらすぐに時間が無くなって…。おまけに間に、日頃の睡眠時間を補うがごとく昼寝も挟むから、本当にあっという間に休みが終わってしまう。映画を見なければ、その分他のことができるんだけど、映画は映画で有益だし…。

 マイケル・ムーア監督。オリバー・ストーン監督。アメリカという国の不正を暴く姿勢は共通している。名ばかりとはいえ、同盟国日本にとっても大事な話。アメリカだけで儲けることができなくなったグローバル企業、金融大手等々がどんどん日本に進出して、日本人からも利益を搾取しようとしている気が非常にする。ハイエナども。

 残業代ゼロとか戦略特区とか、もろにそれだろう。何でもかんでも規制緩和もそう。あー気分が暗くなる。。。

 

 ということで、この1.5日、仕事の勉強は一切せず。片付けもできず、本当に何もしなかった。1週間後の休みに期待して、また今日から働くとするか。

 

 あーあ。