絶不調
(トイレは一つ…)
あー、絶不調。
これまでのアレコレに加え、昨日は善意が裏目に出て、損害発生&負い目を感じざるを得ない状況に自分を追い込んでしまったり、件のf会社からは、簡単な侘び状と共にさらに物を買えと言わんばかりのカタログが到着し、そこに載っているポイントとやらがどのように利用できるのかと確認したら、商品代金に充当はできないことが分かり、「意味ないじゃん」と思いつつ、もう縁を切る予定なので、何かに使えないかと探したら、どうやら寄付的に使えるらしいことがわかったので、アフリカの子ども達の未来が良くなる活動をしている人に渡そうと思ったら「ポイントが不足してます」だと…。
はぁー? 侘び文と一緒に入っていた明細には必要分を超えた数が載っていましたけど…と思い、再度、サイトで確認してみると、(笑)、返品分が減数されていて、確かに不足していた。。。。
じゃあ、もうよろしい。もうポイントも捨てる。
申し訳程度の微々たる、本当に商品代に充当できるポイントも捨てる(と思う)。
最後に、何か欲しいと思っていたもの、“必ず”欲しいものがちゃんと買えるもの、数ヶ月という無用な長期間の待機期間を強要されず、しかも、途中で打ち切られるのではないか、とヒヤヒヤせずに数ヶ月も待たなくて済むもの、無用なものが届いて、返品送料という無駄金を捨てずに済むものだけを買う。
= 当たり前の買い物 を 当たり前にしてから縁を切ろうと思う。
でないと、何だかスッキリしない。
しかし、なぜ、熟年世代の方々は、わざわざ人がゆっくり座っている横に、他にいっくらでもスペースがあって、いくらでも座れるところがあるのに、わざわざ私の横に座ってくる(人のいるところに後から割り込んで来ようとする)のだろう。
全くもって意味不明。
普通、人がいれば、しかも、例えば10あって、1をその人が使用していて、残り9空いているとすれば、普通はその残り9の中で自分の場所を選択するだろうに。
なぜ、1の中のわずか誤差程度の0.3程度の部分にギューギュー押し入って来ようとするのか、本当に意味不明。
例え、本当に例え、そこが景色もよくて、丁度いい場所だとしても、「その時に」「必ず」「そこじゃないといけない」ものか?
普通は、先にいる人を優先させようという意識が働かないものだろうか?
割り込み勝ちの世の中なのか?ここは。
かくして、私は、この人混み、集団、群れ、五月蝿い、他人と接近するのが心底不快なこの私は、ギャーギャーと話し出す熟年カップルやら、おばちゃんコンビが真横に来れば、必然と先に座っていたその場所をその人間たちに明け渡し、自分はその人間達とは離れて、また一人ゆっくり静かに落ちついてくつろげる場所を探し、なんとかそれに近い場所を見つけ、そこに移動する、という。。。
上のベンチの話もそうだが、自転車置き場の位置も、見事に後から引っ越してきた中年オヤジに横取りされ、私は柵外の芝生の上に置かざるを得ない状況になり、仕方なく、そこに置いている。
なんで平気なんだろう。そもそもそれが私には理解できない。
先に誰かが使っているなら、そこを避けるという意識が生まれないのが普通なのだろうか。。。理解不能。。。
私はやっぱりこの世では上手く生きていくことが難しいタイプの人間なのだろう。
いや、それは重々分かっている。偏屈者だし。
なので、あと数年。なんとか、義理・義務を果たして、それさえ済めばさっさと終わらせる計画なのである。
もう、ホント、色々、コリゴリラ。