utsurogi

空木(うつろぎ=中が空っぽ)ながら、多岐多様に詰め込んで勝手なことを吐き出して…。

やっと終わり

やっと節分。

巳年が終わる。

私の天中殺明けだ。

昨日、最後の最後にやらかした。

爆発した。

44年生きてきて初めてのこと。

人に対して本気で腹立って怒って大声で意見した。

あんなに感情的になった自分を自覚したのは本当に自分の記憶の中で初めてである。

しかもその相手が赤の他人ではなく実の親という…(笑)

 

 

しかし、ホンマにわがまま強情捻くれ弱者被害者根性丸出しのくせに強弁ぶちかましてくるのもいい加減にせぇよ、と。

 

人間年取るとあぁも捻くれて根性曲がって、我が強くなって、人の立場を無視して、自分の都合だけで、自分の価値観オンリーで、それが当然と思って、それが通らない、批判されたりすると思考停止して、単純に不快感だけを理由に一方的な言説をまくしたてられるものだな、と、最初は唖然としつつ聞いていた。

 

しかし、最後の最後に出てきた本音、いつもそれを気にして本当はそれが怖くて不安に思いながら生きているが故に出てきた、自分の気持ちとは裏返しの言葉を捨て台詞的に吐いた瞬間、

切れた。

 

そこまで根性曲がってるのか、と。

なんでそんな理屈になるねん、と。

 

ほんの少しの共同生活者に対する、本当にささいな、ちょっとした配慮、他者に対する想像力があれば、全く何も起きないこと。

 

普段から、前々からその無神経さ、無配慮さに呆れる部分はあったが、昨日はこのままでは共同生活している限り永遠に自分の自由は奪われると思い、一言理解させようと発したのだが、それがあちらさんには思わぬ非難を受けたということになり、不快指数が一気に上昇したようだ。

 

私にしてみれば、普通の人間ならちょっと考えれば分かることだと思うが、外に出て他人と仕事をするとか、共同社会生活を送っていない人間には到底考えが及ばないことらしい。

他者を、その人の人格、その人の自由、考え、価値観を尊重するということが全くあちらの頭の中には欠落してしまっていて、異星人と会話しているような気すらしてきた。

 

ま、最低限の言い訳として、家族に対しては価値観も自由も認めない、ということらしい。他人様のそれらは認めるらしいことは宣っていた。

 

私は江戸時代の人間か。

ここには家長制度が存在してるのか。(家長でも何でもないけど)

 

 

いや、ホント、昨年暮れにもひと悶着あり、その時も思ったが、人間年を取るとあぁも頑固にわがままに我が強く、他者を受け入れず、寛容さを失い、一方的な理屈をまくし立て、正しくないことでも正しいとしてしまえる、横暴さ、傲慢さを装備できるもんだなと、心底感心する。

 

正直、合わないけれど、親だし、姉兄の中で私しか適当な人間がいないし、経済的なことも含め、一緒にいるけれど、もう、本当にどこまで我慢すればいいのかと…。

 

でも、昨日は本当に人生初の爆発をしたけれど、また今まで通り、“大人”に戻って、合わせて、我慢して、付き合っていくけどね。

ま、それが子どもの務めっていうやつだろう。

 

仕事場でも家庭でも私生活でも、ここまでいろいろ問題勃発して神経使って疲弊してきた分、天中殺開けたら少しはマシなことが展開されていくだろうか…。

 

そうであることを心底願う。

 

もう本当は人生に期待はしていないけれど、明日消えるわけじゃないから、取り敢えずは微かな期待でも持ちつつ一日一日を終えていくしかない。

 

本当に生きるのは面倒臭い。

 

最後の日を記念して、メッセージ。

 

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