utsurogi

空木(うつろぎ=中が空っぽ)ながら、多岐多様に詰め込んで勝手なことを吐き出して…。

もういっちょ

 ちょっと気になったので…。

 以前、自分の子どもの入学式に出席する為に、教師の仕事を休んだ先生のことが話題になった。この件、私ははじめ親からの伝聞で出来事を聞き、何の根拠も無く即座に「自分の子どもの(小学校)の入学式に出席する為に、自分が担任する(小学校)の新一年生の入学式の日に休暇を取って休んだ」と思い込んだ。そして、この件で有名教育評論家がバッシングされているというのも聞いた。

 そこで、「なぜバッシングされるのかが分からない。“小学一年生”の入学式なんて(他の中学、高校と比べて)入学式の中でも相当大事な感じがするが、それを休むのは私もちょっと疑問に思う。自分の子どもの“小学校の”入学式もやはり相当大事だとは思うが、どうしても母親が行かなければならない事情があったのか。大事な子どもの小学校の入学式というなら、同様に大事な入学式を実施する勤務先に出勤することを是として、父親が代わりに行くとかいう選択肢はなかったのか」と思って答えた。親はどちらかというと、休暇賛成派だったようで少し反論に口ごもっていた。

 しかしどうして、蓋を開ければ、この先生、自分の子どもも担任する子どもも共に高校一年生というではないか。そうとなれば、まぁどうでも好きなようにしておくれ、というのが私の率直な感想だった。

 高校一年生ともなれば、特別、担任の存在が大きいわけでもなかろう。下手をすれば、もう少しで結婚もできてしまえる年齢だ(女子は)。それだけもう世の中では半分以上大人として認められているわけで(現制度上は)、そんな小さなことでゴタゴタ言っているような器では困るというか…(私は厳しい人間なので余計に…ね)。

 さらに、“高校一年生の親”(即ち、それ相応の人生経験を積んだ、一定の年齢に達しているであろういい大人)が、入学式に担任が休んだことくらいでごちゃごちゃ言うほうがおかしいんじゃないの?と思った。この時点で、有名教育評論家さんとは意見が別れることになる。が、根本的なところでは、私は有名教育評論家さんと同意見である。基本、“先生”という仕事の重要性、責任の重さは他の企業勤めの人のそれとは比べ物にならないと思っている。何たって“聖職”でございますから。ま、今の“先生方”がどれほどその責任を自覚して教員資格認定試験に臨んでいるかは知る由も無いが…。

 で、私の中では“今回のケース”に関しては“些細なこと”として決着していたこの件について、今日興味深い記事を読んだ。

 日本に住む外国人さんの記事として掲載されていたその中に、いくつか腑に落ちない点を見つけてしまったのだ。

 

 

近所に住むフランス人の友人は子持ちではないが、この反応にひどく失望していた。日本の出生率が低いのも当然だ、と彼は怒って言った。「職務は家族より大事というのが行政の公的立場なら、子供を持つ親が増えるわけがない」

 ふむ、これをどのようなケースに於いても100%押し付けられているのなら、その通りだと思う。同感である。

 

日本人の倫理観の根底にあるのは、義務や役割を果たすことを強調する儒教の伝統だ。平穏で安全で秩序正しく、効率がいい日本社会に、外国人は目を見張る。あらゆる職業の日本人が示す自己犠牲や勤勉さ、献身には畏敬の念を抱く。このように義務や職責を重視する倫理観には多くの利点がある。

 今まで“感覚”で理解していた日本人の国民性を的確に説明していただき、スッと靄が晴れた気がした。まさにこれこそが日本人の美徳の一部分にして最大の側面であるように思う。私もまさにこういう嫌いがある。まぁ、だからといって同じように日本人の特性とされる農山村部のムラ社会特有の“和”を重んじるというところはほぼ無いに等しいがw。

 

それなら欧米人はなぜ、義務感に基づいて行動を決めることがずっと少ないのか。その理由は「義務」の概念が絶対視され、他のあらゆる行動原理より優先されると問題が起きるからだ。

私の友人のようにサルトルなどの実存主義に強い影響を受けたヨーロッパ人は、役割や職責や義務が人間を定義付けるとは考えない。人間は完全な選択の自由を与えられ、その選択に伴う最終的な責任を負うと考えるのだ。

  “完全な選択の自由”。これがミソだ。“その選択に伴う最終的な責任を負う”。責任を100%負うのなら誰も文句は言うまい。だから、別に好きなようにやればよい、となる。興味深いのは次の段落。

 

これはホロコーストという悲痛な歴史的経験に裏打ちされた価値観だ。ユダヤ人を絶滅収容所に送り込んだドイツ軍兵士の多くは、自分の行為を「職務を果たそうとしただけ」と説明していたからだ。

  “職務”の下に“正義”、“倫理観”、“道徳”、“人道”があったと。それを反省していると。そして次の段落でさらに興味深いエピソードを教えてくれた。

 

皮肉なことに、欧米人に特有のこの価値観は、日本人外交官の杉原千畝が日本国外で最も敬愛される日本人の1人になった理由でもある。ナチスによるユダヤ人迫害が進むなか、杉原は日本の領事代理としてユダヤ人にビザを発行し、多くの人命を救った。彼は職務規定を破り、義務より愛を優先させた。自分の行動を職務ではなく、人間としての選択に基づいて決めたのだ。

  と、“義務より愛を重んじ”、“人間としての選択に基づいて行動”したことで外国人に最も敬愛される日本人となった杉原氏を紹介している。

 

もちろん、仕事を休んでわが子の入学式に出席するという教師の選択は、人間の生死に関わる困難で英雄的な選択とは次元がまったく違う。

全く以てその通り。同列に語られるべき内容ではない。しかし、

 

生徒たちは、この教師が自分の親と同様にわが子を愛し、自分の親と同様にわが子を支え続ける決意であることを知るだろう。教師は1人の人間であり、単なる職業ではないことも学ぶはずだ。私はこういう教師、愛がすべてに優先することを身をもって示せる人にわが子を教えてほしいと思う。

  と、やはり本質的な部分で同一視しているような気がする。特に“愛がすべてに優先することを身をもって示せる人”という部分。

 

 ここで言う“愛”とは自分に向けられるものではなく、あくまで“他者”なのだろうか、身内も含め。私も、自分自身でとても飛躍した比較だとは思いつつ、先般の韓国船の船長、船員たちのことがふと頭によぎった。

 “完全なる選択の自由”に基づいて、自分への“愛”を優先して行動した彼らに対しては、もちろんその選択の結果に対する責任が彼らにのしかかるので自業自得で問題無しとなるのかもしれないが、これについても良しとなるのだろうか。

 自分のクラスの新入学生=乗船客を見捨てて、自分への愛=自分の息子への愛を優先して行動したのと、違うようで似ている部分もあるのではないだろうか。まぁ、やはりそうは言っても、人命の係ることと、たかだか1時間程度で終わる単なる儀式とを比べるのは間違っているのかもしれないが…。

 でもしかし、自分の仕事に対する職責とは…という問いが完全に消えるわけではなく…。

 

 これは今まで、ずっと思っていながら一度も人に言ったことも、書いたこともないが、私はその“職責”ということを、なぜかある時から、気付けば酷く意識するようになっていて、自分は絶対に電車の運転手、バスの運転手、タクシーの運転手、トラックの運転手、飛行機パイロット、船の操縦士…等々は出来ない、したくない(実質技能的に無理なものが殆どだが…w)と思ってきた。

 何十、何百、何千の人の命を預かるなんて荷が重過ぎると。その思いは大きな事故のニュースを聞くたびに強固になり、実際にそういう職業に就いている人達に対して「すごいなぁ」とただただ感心するばかりである。

 私の変なところは、変に想像力が働いてしまうところかも知れない。例えば、もし自分が運転するバスで事故を起こして、乗客が重い後遺症を患ったり、死んでしまったりしたとしたら、その人の家族のことを考えてしまう。働き盛りの年代の人ならば、子どもの進学に影響するかも知れないし、その家族の未来図が一瞬にして全く塗り換わってしまう。そんなことが起こりうる1%の可能性をも含んだ仕事など、私には出来ない。自信が無い。人間は完全無欠ではない。過ちを起こす。ならば、その過ちによる影響が最低限で済むような生き方が自分には相応しいし、それしかしたくないと思ってしまう。見方によれば、ただの根性無しなだけかもしれないけれど、でも、私は人の、それも何十人、何百人、また、その何十、何百人がそれぞれに抱える何人分もの人生も合わせた果てしない数の人間の人生を背負うほどの力も精神力も何も持ってない。ラッキーなら、自分が死ぬまでそういう重大事故には遭わずに平和に勤め上げられるかもしれないが、人生、いつ何が起こるかなんて誰も分からない。

 

 はぁ、とにかく、私には人様の人生を預かるなんて大それたことはできないと。ま、たかだか入学式で、命云々ではないから、関係ないと言えば関係ない話だが、でもしかし、この先生は“家族への愛”を優先する先生は、やはり、自分の教え子よりも自分の子どもを真っ先に救うのだろうか…。そして、それを当然だ、立派だ、と外国の人は賞賛するのだろうか…なんてことも思ったり。

 自分の中にある答えはどうやら世の中とは違うらしいということくらいで、何が是で何が非なのか、明確に人に説明できるほど自分は達観できていないという結論で、これは締めくくることにしたいと思う。

 最後に一つ。こんな思いを持っている私だから余計に、アベが軽々しく憲法解釈変更だの武器輸出三原則変更だの原発再稼動だのアベノミクスだので強者優遇の世の中にしたりしようとしているのが、日本国民全員への責任など欠片も感じていないと思えて、いつもいつも腹が立って仕方ないのだ。

 

 本当に、あんな総理大臣早く辞めて欲しい。辞めさせたい。

 

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photo by Ruy Alvarez

  

 

教師は自分の子供の入学式を優先すべきだ | 東京に住む外国人によるリレーコラム | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

以上。

 

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