utsurogi

空木(うつろぎ=中が空っぽ)ながら、多岐多様に詰め込んで勝手なことを吐き出して…。

鬱憤

どうしようかと迷いつつ。
もう書いてしまう。(自分向け)

 

 

 

単刀直入。
正直鬱陶しい。
昔、大勢の子ども達のお勉強のお手伝いの仕事をしていた時に彼らから教わった言葉で言うと
ウザい。
(ホント、みんなよく「ウザい、ウザい」と言っていた。「鬱陶しい」という子は殆どいなかった。時代の差を痛感した。そして語数が少ない「ウザい」を私もたまに使う…まぁ、心で思ったりする程度で、口に出して、まして当然他人に向けてまでは使わないが…ようになった)

 

今年始め、とにかく収入を得なければいけない為、様々な条件を考慮して新しい勤務先で働きだした。

正直、思っていたよりも業務を覚えるのが大変だった。
業務の複雑さ、重要度に対して、マニュアルの不備、研修のお粗末さが目立った。
同期も怒りとグチをこぼしていたし、殆どが1ヶ月以内に辞めて行った。
しかし、私はすぐに辞めるわけにはいかず、それでもなんとかやれるとも思ったのでそのまま居続けた。

どれだけ自信過剰かと他人が聞けば思うかもしれないが、なんというか、元来“器用貧乏”なところがある、と思っている。
大抵のことは普通にこなせるほうである。
根が真面目なので努力でカバーする部分もあるため、そう問題になるようなことは無く、適度に出来るタイプである。

なので、始めの内はちゃんと真面目にマニュアルを読み込み、自分なりに資料を作り変え、不十分な研修後の即座の実践業務でなるべくミスを犯すことのないようにそれなりに努力をしていたお陰でか、当初はそれなりに評価をされていたような感覚は何となくあった。

ま、歳もとっているし、いろんな仕事はしてきたし、それなりに社会経験も積んでいるし、なんとか適応できるのはある種当然と言えば当然かもしれない。

ただ、この初期の頃は個人的に色々なことが重なっていて結構大変だった。
そんな中でも自分なりには頑張った。
しかし、やはり周りに頼る人のいない中で唯一頼れるマニュアルは不完全だわ、重要なことのくせに研修ではさらっと文章読むだけで流したような内容が突如やってくるわ、「何かあれば電話を」と口を酸っぱくして言われているため電話をすれば、この人、本当に社会人か?と疑うような応答しかできない人間に怒られるわ…で、精神的にタフでなければやはり続けていくのは無理だなというのは痛感していた。
実際それらが原因で辞める人間は本当に多い。

しかし、私は辞められない。

それでもどうにかこうにかやっていたが、ある時、失敗を続けざまに犯してしまった。そこそこ普通にはできるけれど、特殊な内容に関してなどはまだまだ経験不足と自分で思っていた時期である。

二度目の日はもう本当に我ながら「今日は厄日か」と思うほど、いろんな失敗てんこもりでそれなりに疲れた。

 

どうやらそれが上層部の人間の脳裏に深く深く刻み込まれてしまったらしい。

入ってまだ間もない頃に見てくれていた先輩諸姉は、まぁ適当にこなせている私のことをそれなりに評価してくれていたようで、早く一人前になれるであろうと思っていたようだが、もうかれこれウンヶ月も経っているというのに未だにtraineeな私を見て驚いたり、不思議がったり、中には心配までしてくれる方もいる。「何やらかしたの?」とww。

 

自分の感覚でも、長くてももうこれくらいには一人前になっていそうな気がしていたが、その大失態の日以降の彼らの様子を見て、もう諦めていたのでさほど気にはしていなかったが、自分は承知しているのに周りがそうやって心配したり、不思議そうに見たりするもんだから、逆になんだか申し訳ないような気になって、そのことを私が気にしたり…とヘンな状況になってしまっている。

もう出来ることなら静かに放っておいてほしいのに。

 

正直なところ、あの部署のあの上層部の人間たちに認められなくても全く「へ」とも思わない。
基本的な業務は当然出来ているし、滅多に遭遇しない内容は少し時間がかかっても確認しながら執り行い、ちゃんと出来ている(先輩諸姉も認めてくれている)。
はっきり言って、どなた様にも迷惑をかけず、任された職務はちゃんと遂行しているという確信を私自身が持っている。

内部の評価とか、意味があるのかないのか分からない、本質的な目的を忘れて形骸化しているような細かいルールを遵守することなどはあまり興味がない。

一人で仕事をしているわけではないから、周囲との協調、協働の上で迷惑をかけず、任された業務を滞りなく執り行っているのならば、どこにも問題はないはずである。
それがあの勤め先での私の仕事だ。

1ヶ月に1回あるかないかの内容について必死に暗記して、言葉、知識だけ頭に入れたとして、実際の場面でどれだけ覚えていて、即座にそれを実行できるのか…。
あの方達の為に、あの方達にいいところを見せる為に必死に暗記するのは本末転倒。
ま、実際に出来なかったとしても、最低限の知識としてはやはり持っていなくてはいけないとは普通に思うため、最初の頃は努力していたけれど、その大失態デー以降、相手に合わせて…(向こうが“コイツはダメだ”と烙印を押したようなニュアンスを感じ)ではないけれど、こちらもあまりやる気がなくなってしまった。
よって、それ以降、まだ未経験の、滅多に遭遇しないような内容についての知識を入れておく努力をしなくなった。
それよりも通常の業務を完璧にすることに注意を向けた。

 

そんなこんなで、私は、自分でもちょっと意外だが、普段の私を知る人からも意外に思われるような“The 落ちこぼれ”を貫く日々である。
こうなったら、とことん突き進んでやろうと思う。
普通に仕事している人間を敢えて特別な観点から評価し続ける、不合理な職場、上層部に反発する感じで。

 

入ってすぐに気付いた。
“なんて前時代的な職場なんだ”と。
“よくこれでやってこれてるな”と。
でも、“だから人がどんどん辞めて、入れ替わりの激しい職場なんだ”ということも分かった。

中味があるのかないのか分からないような研修で促成栽培してすぐに放り出したくせに、ミスをすれば頭ごなしか冷たく陰険な叱責。

不十分、不完全なマニュアルは更新、改善、改良するどころか、削除してより中味を薄くするという開いた口が塞がらない改悪ぶり。

これで二言目には「ちゃんとお仕事して(できて)当然なんですから」と。
もう本当にビックリ仰天である。
例えば、すぐに遭遇するであろう重要な変更点、注意点を当日、口頭だけで一度説明して終わる。
ベテランなら応用も利いて、ミス無くこなせるかもしれない。
しかし、用語もまだ理解できていないような新人に対しても同じ扱い。
もっと方法はないんかいな、と。
簡易なメモ程度のマニュアルでも一枚渡すだけで、どれだけ安心して、自信もって操作ができるか。

どうせ聞くことになるかもしれない情報を最初からちゃんと与えない。
記載方法(書式)も内容もマチマチ。
書式統一すればそれで終わりだ。
情報を渡す際にそれに沿って書き込めば、必要なことはいちいち電話しなくても事前に知ることができ、時間的、精神的ロスも防げる。

他にもいろいろ「もっと改善しようよ、ね」と思うところは多々ある。

新参者にとって一番厄介なのが“基準が統一されていない”ことである。
サイアクだ。
この人は○と言い、この人は△と言い、この人は×と言う。
一体どれが正しいのか。
最初の内は聞いていくが、あまりにも多く、あまりにもバラバラ過ぎ、時には聞いたほうが怒られるという理不尽な目に遭うため、次第に嫌気が差して流してしまう。
どれか妥当そうな方を採用しておけば大丈夫だろう。
ダメならもう怒られればいいや、みたいに。

一から十までこの調子。
これでも辞められないからしがみつくけどね。

 

忙しくても、暇でも、決められた時間、その場所に居る(働く)だけでお金がもらえる。
なんて幸せな環境だろう。
時給労働者は、かつての私の境遇から比べれば恵まれている。

売上が無く、返済の目処も立たず、どうにも途方に暮れていた頃。
とにかく節約できるところから節約しようと、食に対してほぼ無欲(普通の人に比べて?)の私は、お昼を抜き、ジュース代節約の為水道水を飲んで1日300円程度の出費を削っていた。
たまに数十円のチョコレート菓子を食べたりして、空腹を満たすことはあったけど。

そして、そんな切羽詰った台所事情を表に出すことも出来ず、表面的には普通にやっている振りをしていたが、内心、「これからどうしよう」といつもドキドキしていた。
実際のところ、ここで吊ったら…とかも考えたことがあったし、本当にあの頃はいろんな思いが交錯していた。

そんなことやアルバイト、契約、正社員等、いろんな雇用形態でいろんな組織で働いてきたことも含めさまざまな経験をしている故、今年から働き出したその理不尽な上層部の態度や、部署の運営方針等々に疑問や不満を当たり前ながら持ちつつも、でも深くは考えず、とりあえず無難にこなせればお金がもらえるという幸せな状況を有り難く思い、地道に存在感薄くひっそりと幽霊スタッフのようにw居続けられればそれでいいとか思ってしまっている。

正味の話、今一人前になったところで“時給”はtraineeと変わらない。
私にとっては特段の利点はない。
周囲の人に不思議そうな目で見られようとも、いつまでも今のままで普通に仕事していても、何ら困ることはないのだ。

もっと言うならば、ある程度の期間が経過しても昇進できなければ減額されるらしいが、その額でも私からすれば上等である。
そこで時間を過ごす(普通に働く)だけでお金がもらえるのである。もちろん労働の対価ではあるが、労働の対価としてちゃんともらえるのだ。労働しても売れなければゼロのことを思えば雲泥の差である。
雇用者というのは本当に楽だなぁとしみじみ思ってしまう。
突然会社が倒産(ま、大抵の一般社員(雇用者)は突然知らされるのだろうから)して、収入が途絶えるというケースもあるだろうけれど、一般的には普通に組織で働いていれば給料はもらえてしまう。

だから、最低額になったとしても、私はたぶん居続けると思う。
本当の本当によっぽどのことがない限り、もう新しいことを始める気力も無い。
あとは自分の始末をつけるだけの残りの人生である。

あの会社、部署の人たちとは多分全然違う観念で生きていると思う。
だから、申し訳ないけれど、必要以上に、媚びるように、あからさまに、もう“努力はしない”と思う。
自然に、なるようにならせる。

ここまで長々と書くということは、十分、今の処遇に対して執着しているのではないかとも思うけれど、うーん、一度、あの部署(人も含め)の旧態依然ぶりを書き表したかった、というのが正しい気がする。

あのやり方についてこれる人間だけが残っているから、みんな(極一部は普通の人もいるけれど)どこか同じニオイを放っている。そこもまたちょっと距離を置いて潜んでいたいと思う所以である。

 

ほとんど現実に即さない、あまり役に立たない表面的な注意だけをよく声高にする。
現場の人間が知りたいのはそんなことじゃないんですけど…(汗)ってなことが。
聞くと、どうやら実地の経験はほぼ無いという。驚きである。そして、「だからか」と納得。なぜだろうと思っていた謎が解けた。
しかし、実際に即した具体的且つ詳細な部分を欠いたマニュアル通りの表面的なルールを知識として持っていることに自信を感じている風なのが見て取れた。
これもまた驚きであるとともに少し失望である。
テストでいい点取る為とか、受験の為の勉強命で合格して満足している学生の行く末がこうなのか…と推測してしまった。

(私は現場主義というか、頭でっかちではなく、実体験重視な人間。できればそれプラスαとして知識もあればいいのは言わずもがなではあるけれど…)

一体全体、あの部署はどんな歴史を刻んできたんだろう。
ろくな指導者、管理者がいなかったんだろう。。。

ま、会社はそれでも全然やっていけるから、ある意味気の毒なことである。。。

 

取りあえず、私はあぁいった体質は嫌いであり、そういう風土に溶け込みたいとは思わないし、もう内心見切っている部分もあり、努めて客観的に、距離を置いて、淡々と仕事をするのみである。
それをどう評価しようと、もういい。
私はまだまだやらなければいけないことが山盛りであり、いつまでもあの部署のことにだけかまっているわけにはいかない。正当な相手には正当に対応するが、そうでないならそうでないように対応するのみ。

どうにでも好きなように評価すればよい。

 

そう、器用貧乏と同時に、私は私の名前から判断すると“努力しても報われない”人間らしい。

ま、今までの人生を振り返り、どんぴしゃ過ぎるので、今回も、そしてこれからも人生終えるまできっとそうだということで、ようやくこの投稿を終えることにしよう。

さて、これは公開すべき内容なのだろうか…。

ただの愚痴なんだけど…。

 

ま、いいか。

誰も読まないので自分に向けた内容ということで。