不如意
周囲との関係を考慮し過ぎたことも一因となり、店が自分の計画していた通りに運営できず、かなりやばい状態になり、でも何とか這いつくばって軌道修正しよう、続けていきたいと、必死にもがきながらも苦しみ、疲れ、ちょっとぼやいたり、弱音を吐いたときに某に言われた。
ほとんどのことは自分の思い通りにいかない
・・・・・・。
だから、無駄なあがきをせず諦めろと言いたかったのか。
ごちゃごちゃどうにもならないことに文句を言うなと言いたかったのか。
別に某にどうしてほしいと言っているのでは全くない。
できない、その能力が無いことはよく分かっているから端から期待もしていない。
ただ、話のついでに現状を憂い、怒り、嘆いてるだけだった。
でも、そんなことを言われ、私には「自分の思い通りにやっていけると思ったら大間違いなんだから、為るようになると覚悟を決めて、無駄な努力はせず、ただぼんやりと生きていけばいいんじゃないの? 何をどうにもならないことに対してそんなにむきになっているの?」と小馬鹿にされるというか、呆れられたというか、とにかく、一人で頑張っている私にとっては不愉快な返事をもらったことがある。
以降、私は某との話の中で時折皮肉っぽく、「思い通りにいかなくて当たり前なんだからそれでいいんじゃないの?」というようなことを言うようになった。
それはある意味「普遍の真理」と、同意、納得もできることでもあるのだけれど、こちらはこちらの考えがあって、現状を改善し、計画を実行するために努力していきたいという強い意志をもって戦っているのに、そういう人間に対して、上から身も蓋もない一言を浴びせかけ、何とも思わないのだろうか。。。
諭してあげている、ありがたい説教をしてあげているとでも思って言ったのだろうか、と邪推してしまう。
自分は、それで全てを納得してしまえるような悟りの境地にいる人間であるとでも言いたかったか。
私は「物事はほとんどが自分の思い通りにいくことは無い」かも知れない、それはある面真実かもしれないけれど、それでも、なんとか自分の望む方向へ進んでいけるよう努力することには大きな意味と意義があると思う人間である。
「ほとんどのことが自分の思い通りにいかない」。
「じゃ、どうするの? どうしたいの? 何もそこから進む気はないの?」
と思う。
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話がだいぶ逸れたが、とりあえず、私は「思い通りにいかない」のは一つの真実だとは思っていて、今日もまたそれを痛感する出来事があった為、それを書いておこうと思っただけのことであった。
東京でオリンピックをするらしい。
私は反対だった。
今、日本が一番優先してやらなければいけないことを置き去りに、蔑ろにし、国のトップが世界に嘘までついて、自分の見識の無さを世界に晒してまで、やるべきことなのかと、お金の使い道を知らない国の支配者達にいいように金を毟り取られ、好きなように湯水のように無駄に使われ、肝心の使途にははした金程度の予算。
本当に狂っている。
選挙でも応援している人、党は負け、原発への国、電力会社、世間の対応も全く自分の希望とは正反対。そして、オリンピックも反対だったが、決定した。
「ほとんどのことが自分の思い通りにいかない」
ホント、その通り。
でもたぶん、思い通りにいかない私がいる一方で、必ず「思い通りにいっている」人はいる。
なんだろう。
このモヤモヤと渦巻く晴れない気持ちは。
生きるのは難しい。