utsurogi

空木(うつろぎ=中が空っぽ)ながら、多岐多様に詰め込んで勝手なことを吐き出して…。

老人

 老人というか、ウチの親の話だが。

 

 なんであんなにバカなんだろう。

 もっと物を考えようよ。

 同じ用途の物を、素材、大きさ、数量等を変えてわざわざ買ってきているのに、それが「なぜか?」と考えることすらしない。不思議。

 というか、私は絶対に渡す際に説明したはず。

 なのに、自分の判断で行動して、挙句の果てに見当違いの理由で困っている。

 バカか…。

 そのくせ、自分でそれを解決しようと、理由や対策を考えようとせず、一人で鬱々と困っている体(テイ)を見せる。弱者ぶるというか…。

 いつもそんな感じ。そういう下心が見え透いた行動を取るところが、素直、正直さのかけらもなく、人(この場合、私)への依存心満々、依存心全開の態度が逆に鬱陶しくすら感じてきて、内心苛立ってきてしまう。

 だから、そういう自分の感情は極力抑えて、正しい使用方法を再度説明し、必要と彼女が感じているものを次に買ってくるということを示し、漸くウジウジ状態を止めさせる。

 どんだけ手間かかんねん。

 歳を取ると余計な金がかかる、世話をかける、いろんな病気、ケガをしやすくなったりしてなんだか情けない・・・・・等々の嘆きのようなことを頻繁に口にする。

 そんな分かりきったこと、誰も避けようが無い、仕方のないことを、さも自分を可哀そうがって、そして、他者(この場合、私)に申し訳なさそうに、いちいち言わなくてもいい。却って相手をするのが面倒臭い。そんな当たり前のことに。

 

 とりあえず、彼女の性格なんだろうけれど、自分はこれだけ大変な状況なんだ、こんなに可哀そうなんだ、こんなに困っているけれど、悶々と一見誰にも頼らず、安易に病院にも行かず、一人で耐えているんだ、というような姿を、実はアピールし、満足するというか、そういう自分の人間性、境遇、状況に浸って、内心、悦にいっている、という風な部分が、あざといというか、わざとらしくて、この考えるのも行動するのもストレートな私にとっては、もう本当にどうにかして欲しい、陰鬱な性格の人である。

 

 もっとねぇ、自分で考えて、堅実に賢明に行動してみようよ。

 103歳だの97歳だのの女性が本を出して、生き生き?と生きているのは、きっと彼女たちが自分でさまざまなことをきちっと考えて、日々行動しているからだと思うよ。人に必要以上に依存せず、自分の頭で考え、もっと適切に行動してみようよ。

 

 

 と、声に出して言うと、もっともっと捻くれそうなので、今は特に言いたくても言えない親への愚痴をここで書いて発散してみる。

 

 ま、現時点、ボケてないだけ、私は幸せなのかもしれないけれど。

 

 どうぞ、元気で。

 

 

<7/6 追記>

 うじうじ態度もイラッとくるのだが、そういう態度を取ることで、私に関心をもたせるようにし、声をかけさせ、話題に出させて、そして、自分の要望を達成しようとする。そういう方法をあの方は取る。いつも。大抵。

 その魂胆がぶっちゃけ気に入らない、というか好きじゃない。

 なんで“フッツーに”「これこれこーなっていて、こーだから、こーしたほうがいいと思う。だからこーしてもらえないかな?」とか、自分の口で“フッツーに”話を出来ないのだろう。なんで、わけのわからない、謎の、奇妙な、うじうじ態度を取って、私に話しを切り出させようとするのか…。不思議極まりない。面倒臭い性格。

 時々、そういう鬱陶しい魂胆がすぐに分かるので、あえて、話題にせず、又は話題をずらし、自分からちゃんと言い出すまで放置することがあるが、それでも尚且つ、彼女はその核心部分についてはわざと言わず、その周辺の事柄について必死に話を続けるという、これまたイライラ増殖戦略を取ってくることがある。

 謎としかいいようがない戦略。なんで「A」という物事を「A」と言わず、「Bの一つ前」とか「アルファベットの一番最初」とか「“Apple”に含まれるアルファベット」とかいう感じの話しかできないんだろうねぇ。100%理解できない。

 親ではなく、友達とかだったら絶対に距離を置きたいタイプの人間である、私にとっては。もっと素直に、もっと普通に喋ろうよ、とぶつけたくなるような。

 

 

 ま、しかし、紛れもない親であり、現在の同居人であるからして、無碍にすることはできないわけで、今日、私は、彼女がうじうじ演技で要望してきた品物を買って帰ってあげる予定である。

 

 もう、二度とこちらから気を回して、「どうしたの?」と子どもに尋ねてあげるようなことをしなくて済むように。

 

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メンドクセー

 いろいろあるんだけれども、とりあえず。

 忘れもしない1/19の出来事があって、私はそれまでと変わった。

 脅されたことは別にそこまでの理由ではないが、向こうのやり方、方針に全く納得がいかず、腹が立ち、どれだけ馬鹿げた方針か、と見返す意味を含め、徹底的にシビアにやった。向こうからもそういう暗黙の指導があったし。

 それ以降、それがクセになったし、その“考え方”がクセになった。

 シビアに厳密にしてやろうと。

 でも、大多数の人はそうはしていないはず。私も以前そうだったように。

 どうやら、最近、それに気付いたり、問題に思っている人がいる節を感じる。

 昨日もそう。

 

 私はカンがいい。(人にも言われた)

 昨日、恐らく、その疑問視している人物が隣の人間に話しかけていたことは、その私が厳密にしている操作のことだと思われる。

 何となく、その前の態度の雰囲気からも、カンのいい私はそれを感じた。

 うーむ。ここは少し考えを修正して、元に戻すべきか。もうアイツが担当ではなくなったし。

 今度また今の人に脅されても、もういいや。今度はもう辞めよう。

 この間、他部署の人間のメモを見たが、あれで通用するのか、と。

 あれで“速い”とか言われているならちゃんちゃらおかしい。

 きっと、同じ部署の速さを競い合っている、“速さ”にとりつかれている人間達も根底の考え方とか行動とかは似たり寄ったりだろうということは想像しやすい。

 そんなのに同調したり、一緒と思われるのは心外だし、とにかく、私はもう今さら、この歳になって、自分の信条とかけはなれていることを人に言われて、人にいいように評価されたいからといってやるほど、若くも青くも無い。

 だから、みなさんと同じように、厳密さはもう、少しお休みして、適当にやってやろうかと思う。

 

 なんだか、その辺りのことをずっと考えていて、たまたま遅刻してしまった。

 どうにもバツが悪かった。反省。

 ち、メンドクセー。

 

 あーあ。やっぱり、合わんわー。

 もっともっと黙々と地道にできる、やっているだけでいい仕事はないものか…。

 

 ホント、生きること自体がもういい加減めんどくさい。

 早く、ご恩、義理を返して、きれいスッキリして、静かになりたい。。。

 

 ちょうど、7月の占い見ていたら、今月末辺りから、上司の評価が不適切と感じる場面があるとか…。

 もう辞めろということなのだろう。

 

 

 ぼちぼち考えよう。

 もう遅刻はしないようにしよう。(声掛けが遅くなったことが遠因とか思われてそうな気がして、それもなんだか面倒臭いのだ。全然、無関係。ちょっと考えてたらあっという間に時間が経ってしまっていただけ。でもそれも止めないとね)

 

あーもー全てがめんどくさいです。

 

 

 

胃とアーモンド

 胃の不快症状継続中…。

 

 私は、ホント申し訳ないくらいに健康優良人で、病気もせず、医者にもかからず、何事も無くやってきているし、そこらへんの人より“強靭な体”であることは自他共に認めるところだった。

 

 がしかし、ここ数年来痛切に感じるのは「“寄る年波”には勝てない」ということ。

 以前、“木の芽どき”を調べた時に自律神経の働きが40歳からガクッと落ちるというのを知り、「へぇー、そうなのか」といたく感心したのだが、ここ数日の胃もたれ、不快感が治らないことから少しまた調べていて、40歳を過ぎると代謝機能も格段に落ちるというのを知った。加齢に伴い徐々に様々な機能が低下していくのは自然なことだとは思う反面、実感してみると、なかなか感慨深いものもある。

 ホント、20代をピークに人間はもう衰えることしか知らない状態になるらしい。
 (私的に言わせれば、20代を境に死に向かってまっしぐら、な状態と)

 ある意味すごい。

 

 で、まぁ老化も一因だろうとは思っていたけれど、胃痛だの頭痛だのといった、なんだかみなさんよく患っている症状ともほぼ無縁で生きてきた幸せな健康人だった私も、ようやく人並みに胃の不快感に数日悩まされる状態になり、ちょっと気になり調べてみた。

 

 胃と言えば、真っ先に思い浮かぶのが「ストレス」。でも今の私はさほどストレスを感じる事柄は無い。無意識下でストレス?とも思うけど、そんな胃に症状が現れるほどのものはやはり思い浮かばない。

 人と話していて、「梅雨時期という気候が影響しているのではないか?」と言われたが、未だかつてそんな理由で不快や不調に陥った記憶はなく、「そんな柔な体でも精神力でもないしなぁ」と返事した。

 

 残る理由で思い当たるのは「アーモンド」。

 先般の「こむら返り」事件で、本当に痛いし、嫌だったので、調べて、私の食生活が悪すぎて、必要な栄養素が足りておらず、生活環境的にもろくに休む時間がないので余計に体に出てきているのだろうと推測し、まずは必要栄養素を摂るために、

を摂ることを意識するようにした。

 しかし、現時点、継続的に摂取できているのは「アーモンド」「ミネラル(スポーツドリンク)」くらい。他は色々事情が重なり、上手く摂れていない。

 というわけで、それ以来、毎日「アーモンド」を食べているわけだが、最初は1日の限度量、23粒位だったのだけれど、若干胃もたれを感じ始めて半分の11~12粒位にした。今もその量を続けているのだが、それでも私には多いのかな、と思い、アーモンドについて少し調べてみた。

 「アーモンド」を犯人に仮定したのは、胃もたれ前と後の生活全般の変更点と言えば「アーモンド」くらいしか思い浮かばなかったからだ。(スポーツドリンクは毎日ではないし、そこまで悪さするとも思えないから)

 しかも、元々「アーモンド」は高カロリー、高脂質食品ということくらいは知っていたので、胃に負担を与えるとすれば真っ先に「アーモンド」を疑うのが自然だろうと。

 

 続きはまた次の時間あるときに書こう…。時間無くなった…。

 

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(桜の花みたいなのね…)

 

大層なこと

 

そんなに大層なことは、この世の中に一つもない。 大概笑ってごまかせることだ。

                           ── 森繁久彌

 

 びっくりした。

 いつからだったか、うーん、たぶん4、5年前かな。

 私もこの境地に辿り着いてしまって、本当に殆どのことについて“おおごと”には思えず、“大したことない”と考えて流したり、処理している。

 この境地に達した時点から(今でもそうだが)、“私にとって大したこと”は、もう“母親の死”くらいしか無い。それ以外は自分のこと含めてみな“どうってことない”ことにしか思えないし、事実そうだと思っている。

 だから、誰かが何かに対して感情的にギャーギャー言っていても、表面上、コミュニケーションマナーとしては合わせて、話を聞き、相槌を打ち、相応の応対をしているが、内心“そんな小さなことは実はどうでもよい、気にする必要のない、ちっぽけな、些細なことなんだけどね”と思っていたりする。

 なんたって、地球が誕生して50億年ですから。

 この人間世界で起こることなんて、みな有り得る話で、生死に関わることだとしても、まぁ、人はいつか死ぬわけだし。輪廻転生もあるわけだし。因果応報もあるわけだし。

 原発もアベノアホ法案、もとい、「安保法案」も、TPPも、…etcも、日常の社会生活上の身近な問題としては、ある程度の“重み”はある。だから反対運動もするし、抗議もする。でも、根本的には所詮はすごく小さな、ごく限られた時間、空間枠で起こっている事象だなと思う反面、それでも、“戦争”だけはちょっと別格には捉えている。

 あれはやはり本当に悲惨だと思う。

 人間のありとあらゆる醜態、闘争本能、潜在的残忍性、愚かさを表出させる。

 あの状況は生き地獄だと思う。一生消えることのない、癒えることのない禍根を双方に残す。戦争だけは別だと思っている。

 だから、世界各国のあらゆる“戦争”(紛争?)については、本当に早期解決を望んでいる。

 

 話が広がったが、今回の記事の主題は、森繁さんに先日興味を持ったが、調べているうちに、なんと同じ考えをしていたという意外な共通点を発見し、すごく身近に感じて、興味を抱いた(渥美清さん同様、前から気にはなっていたが)“理由”が分かったような気になった。不思議なご縁を感じた、と言う話。

 

 亡くなってしまって本当に残念。私の気になる、好きな、尊敬する人は皆、もう他界しているか、高齢者。ちょっと、焦り気味に色々お勉強している。

 

 もう一つ、氏の言葉で気になったものを。

 

演技も人生も、几帳面にやらず、すこしボケるのがコツ。

 

 すべてを承知している人だからこそ、少し下がって全体を見て、余裕を持ちながら、気遣いながら、力を抜いてやると。また、色々な経験による心の負荷を、その対象から一定の距離を保つことで、自分を客観視することでバランスを保てているのではないかと…。

 直接的な生きる知恵と、その裏の意味とを勝手に感じ取ってしまった。

 やはり、戦争体験者は少なからず、というか、必ず、何かを背負って生きていると確信する。

 そういう意味で、人間としての深さが滲み出ていて、私は戦争体験者(世代)の方々に強い共鳴と敬慕の念を抱いてしまう。

 

 

 全く無関係だけど、最近、胃が不調というか、食欲ないし、胃が気持ち悪い。別に全然ストレスとかないんですけどねぇ…。なんだろうなぁ。

 店の経営が不調なことを、一店員ながら、実はかなり気に病んでいるのだろうか…。マジで危ないもんねぇ…。

 

 

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絶不調

 (トイレは一つ…)

 

 あー、絶不調。

 これまでのアレコレに加え、昨日は善意が裏目に出て、損害発生&負い目を感じざるを得ない状況に自分を追い込んでしまったり、件のf会社からは、簡単な侘び状と共にさらに物を買えと言わんばかりのカタログが到着し、そこに載っているポイントとやらがどのように利用できるのかと確認したら、商品代金に充当はできないことが分かり、「意味ないじゃん」と思いつつ、もう縁を切る予定なので、何かに使えないかと探したら、どうやら寄付的に使えるらしいことがわかったので、アフリカの子ども達の未来が良くなる活動をしている人に渡そうと思ったら「ポイントが不足してます」だと…。

 はぁー? 侘び文と一緒に入っていた明細には必要分を超えた数が載っていましたけど…と思い、再度、サイトで確認してみると、(笑)、返品分が減数されていて、確かに不足していた。。。。

 じゃあ、もうよろしい。もうポイントも捨てる。

 申し訳程度の微々たる、本当に商品代に充当できるポイントも捨てる(と思う)。

 最後に、何か欲しいと思っていたもの、“必ず”欲しいものがちゃんと買えるもの、数ヶ月という無用な長期間の待機期間を強要されず、しかも、途中で打ち切られるのではないか、とヒヤヒヤせずに数ヶ月も待たなくて済むもの、無用なものが届いて、返品送料という無駄金を捨てずに済むものだけを買う。

= 当たり前の買い物 を 当たり前にしてから縁を切ろうと思う。

 でないと、何だかスッキリしない。

 

 

 しかし、なぜ、熟年世代の方々は、わざわざ人がゆっくり座っている横に、他にいっくらでもスペースがあって、いくらでも座れるところがあるのに、わざわざ私の横に座ってくる(人のいるところに後から割り込んで来ようとする)のだろう。

 

 全くもって意味不明。

 普通、人がいれば、しかも、例えば10あって、1をその人が使用していて、残り9空いているとすれば、普通はその残り9の中で自分の場所を選択するだろうに。

 なぜ、1の中のわずか誤差程度の0.3程度の部分にギューギュー押し入って来ようとするのか、本当に意味不明。

 例え、本当に例え、そこが景色もよくて、丁度いい場所だとしても、「その時に」「必ず」「そこじゃないといけない」ものか?

 普通は、先にいる人を優先させようという意識が働かないものだろうか?

 割り込み勝ちの世の中なのか?ここは。

 

 かくして、私は、この人混み、集団、群れ、五月蝿い、他人と接近するのが心底不快なこの私は、ギャーギャーと話し出す熟年カップルやら、おばちゃんコンビが真横に来れば、必然と先に座っていたその場所をその人間たちに明け渡し、自分はその人間達とは離れて、また一人ゆっくり静かに落ちついてくつろげる場所を探し、なんとかそれに近い場所を見つけ、そこに移動する、という。。。

 

 上のベンチの話もそうだが、自転車置き場の位置も、見事に後から引っ越してきた中年オヤジに横取りされ、私は柵外の芝生の上に置かざるを得ない状況になり、仕方なく、そこに置いている。

 なんで平気なんだろう。そもそもそれが私には理解できない。

 先に誰かが使っているなら、そこを避けるという意識が生まれないのが普通なのだろうか。。。理解不能。。。

 

 私はやっぱりこの世では上手く生きていくことが難しいタイプの人間なのだろう。

 

 いや、それは重々分かっている。偏屈者だし。

 

 なので、あと数年。なんとか、義理・義務を果たして、それさえ済めばさっさと終わらせる計画なのである。

 

 

 もう、ホント、色々、コリゴリラ。

 

 

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予感的中

 fという会社。

 ホントやってくれる。馬鹿らしくて笑いたくもなるが腹も立つ。

 先日、あと残りの1回をまた1ヶ月待って、トータル3ヶ月以上かけて欲しい商品を手に入れるか、もう止めるかと思い、仮にあと1ヶ月待つことにしても、実は大どんでん返しで、せっかく意を決して待っていても、途中で販売終了になることがあるので油断できない、と書いた。

 その後、自分がキャンセル期限に間に合わなかったのが悪いと反省し、仕方ないから、次は間違いなく自分の欲しい色が漸く3ヶ月ぶりに手に入るのだからと言い聞かせ、そのまま待つことにしたのまでは良かったが、

 

 なんと、今日、その悪い予感が見事的中してしまった。

 

 「送りました」「でも」「販売終了」で「何も送りません」だと。

 

 はぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー????????

 私は、別に、販売開始から大分経って申し込んだのとちゃいまっせ。
 結構早めに、カタログ見て、わりと早めに申し込んだのに、
 

 一番欲しかった色にお目にかかることなく「販売終了」。

 

 噂には聞いていたが、まさか自分が遭遇するとは…。

 

 ちょっと、そのお知らせメールを一度読んだだけでは理解し辛かったよ。

 「何言ってるの?販売終了?は?」って。

 

 ほんと、今回の件でfへの印象は最低なものとなった。

 

 ほんと、最悪な販売システムだな。

 

 自分はもう1点もの以外は死んでもfでは買わないが、他の人にも声を大にしてお勧めする。「止めておいたほうが精神衛生上よろしいですよ」と。

 

 

 さて、たまったポイントでどこまで鬱憤を晴らすことができるのやら…。

 

 今日は色んなことがあった変わった日となった。。。

 

 

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寝て、寝て、起きた

 寝た。かなり寝た。

 何もできなかった。できたのは程ほどの疲労回復。

 本当に、アレやって、コレやって、ソレもして ・・・と色々計画していたのに、10個位ある用事の中で、出来たのは一つ、手を着けたのが一つ。

 1.5日、しかも連続せずぶつ切りの1.5日の休みじゃ、本当に何もできない。

 私には色々とやることが残っている。

 一つの働き先の子が休みの日に特にやることなく寝ていると言っていたが、まぁ、若い子ではあるが、ビックリした。というか、まぁ、普通はそうかな、とも思った。

 私にはずっとずっと先延ばしにしている“残務整理”という巨大な用事がまだ残っている。その前に“今の仕事”の知識・資料整理もある。他にも色々色々・・・。

 

 時間が欲しい。休みが欲しい。

 有休使って自分の仕事をするしかないな。

 どうせ、お金使って遊びだの旅行だのに行くなんてことは絶対できないし。

 そんなお金があれば返済せーという話だし。

 あーあ、もっと色々書きたいこと、思っていること(愚痴)は一杯あるけれど、時間が無いのでまた先延ばし。

 

 

 とりあえず。私が悪いのだけれど、あのもう二度と使わないと思った通販が、なんと次回分をキャンセル出来ず、また来るらしい。

 まだ、作業中みたいだから結果どうなるか分からないが、現時点、割引の価格のままになっていた。私は次の分は正規の値段に戻ると思っていたからもう絶対嫌だと思っていたのだが、割引のままなら、送りたいというなら受け取ってあげてもいいかなと思った。しかし、最終的に正規の値段になっていたら、もうやはり止めて、また返品送料払って、返品するか・・・。〆て返品送料1,000円超。あーバカらしい。1,000円て、私の昼ごはん代1週間分位に匹敵するんですけど・・・。パン1個なんでね。

 

 

 世の中、色々、上手くいかないものである。

 

 もうホント、毎日疲れる。

 

 白髪も抜けなかったし。今日、帰ってきてからやるか……。

 

 

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(やっぱり出来なかった…)