utsurogi

空木(うつろぎ=中が空っぽ)ながら、多岐多様に詰め込んで勝手なことを吐き出して…。

今日の脳年齢-43.8歳

52歳 (初トライ)

48歳

49歳

ーー

33歳

37歳

ーー

44歳 (40年後に停止らしい…)

 

■平均 43.8歳 

※なんとか実年齢を下回ったけれど、いっち番始めにした時はびっくりした。
ぶっちゃけ、気は若いほうだし、見た目も一人モンだけにそこまで老け込んでいないつもりだったので…。結構ショックであった。。。

 でも、自覚はもう数年前からあった。30秒前のことを忘れていると思うことが度々で、冗談ぽく周囲にも老化ぶりをアピールしたりもしていて…。

 最近は、一方の仕事をしている時、本当にこれで全部だったかな?って何回も何回も見直したりして、結局時間がめっちゃかかって、それをバシバシ指摘されまくって「早くしろ」と注意されたりして…(笑) 自分としてはもう“速さを競う”という価値観は持ち合わせていない人間なので、何を言われてもマイペースにやって行っているし、これからもそうするつもり(論外なほどの遅さではなく、まだ人並みなレベルなのでそこまで悪いことだとは思っていない。ただ、自分自身でももう少しは早くできるとは思っているので、その辺までは工夫する意欲は持っているけれど…(笑))だけれど、脳年齢が高い=脳の老化=ボケやすいってことでしょ。それはイカンなと思った。だから、少しそっち方面に関しては意識して、トレーニング的なことをしていこうかと思う。

 

 数年前は身体(内臓機能含む)の衰えを激しく実感し、食生活の見直しを図ったわけだが、いやぁ、この歳でボケ防止を意識し始めないといけないとは…。

 いけませんねぇ、無関心、無頓着、無欲……など、生きることに執着が薄いと真っ先に脳が退化するのかなぁ。。。

 あと数年間だけ持ってくれればいいんだけど…。

 まぁ、そうは言っても基本は「ボチボチやっていく」のは変えませんけどね(笑)

 

 

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何のために…

 久々にここで書くと思ったら、思いっきり愚痴なので、偶然目に触れる方には申し訳ないのだけれど、どうにもモヤモヤが残るので消化するために吐き出したいと思う。

 

 ぶっちゃけAのことは最初からあまり信用していないというか、頼りにはしていなかった。平スタッフの頃の話し方、対応の仕方も私の好きなタイプではなく、むしろ嫌なタイプ。喋りが軽い。調子のいい、中味のない感じ。無駄にまわりくどい言い回しをして非合理的。それよりも、最初の頃は挨拶しても無視だったし…。ま、その辺は人見知りも多少ありそうだったけれど、それらの態度全部ひっくるめて私の好きな種類の人間ではなく、むしろ敬遠する、関わりたくない種類の人間だった。

 

 役職ついてからも、なんだかイマイチ信用できないので、他のベテランの人達に質問していた。時間の無駄を回避するために。でも、仕方なくAに聞かないといけない状況の時はもちろん聞くしかないので聞いた。そしたら、私の嫌な予感的中。まず、こっちが言っていることを理解できない。話している途中で勝手に自分のストーリーを組み立て始め、こっちが聞いていることに対する的確な答えが出てこない。何度も状況を説明し直さないといけない。話している途中から「あーーはいはい、○○なんですね」とか。いやいや、そんなこと言ってないし。

 あれはなんでしょうね。本当に受け答えが調子のいい、軽い、上辺だけサッと聞いてすぐに適当なことを返そうとする。「熟慮」なんて言葉を知らない感じ。ま、立場的に質問されたら的確な答えを即時に返さないといけないのだから、必要以上に「熟慮」していてはそれはそれでまた問題だけれど、まずは発言者、質問者の話しをしっかり聞いて、自分の中で租借し、理解して、的確な答え、アドバイスをするのが仕事だろうに。本当にそれが出来ていない。そして、その、こちらの説明の途中に「あーー、はいはい、○○なんですね」と被せてくるのも正直鬱陶しい。最後までちゃんと聞いてから判断しろよ、と。

 

 で、結局。私は、相手からの質問内容が、よく起こる苦情の原因に関連する分野の内容だったし、相手が一般の人ではなく、これもまた苦情になると面倒臭い、そして、苦情になりやすい立場の人であったし、時間も時間だったし、要望もまた慎重に対応したほうがいい要望だったし、また、自分がすぐに確認できるシステムがその分に関してはすぐに出てこず、役立たずのシステムだったことから、もう調べてちゃんと答えたほうがいいと判断して切って調べることにした。

 で、Aに聞いた。私が見た資料に載っていたことは、今までの通例とは違っていたけれど、それに書いているんだから間違いは無いのだろうと思って、でAに聞きつつ、これでいいんですよね、的に話した。Aは経験不足でもあり、前述の通り、熟慮せず、その場に合せて軽く受け答えするタイプであり、また確固たる知識も無かったために、私に引きづられるように「うん、それでいいでしょう」的な結論になり、私は相手に回答。でも、Aはやっと頭が回転し始めたのか、どうも違うような気になったらしく、そこで初めて自分の上の人間に確認。結果、間違っていたことが判明。私は苦情を引き起こした。

 

 自分自身の知識が怪しかったら上に確認するのが正しい行動でしょうに。私はあなたに聞きたくなかったけれど、他にいないし、居るのはあなたの上の人間だから、あなたの面子をつぶして、一足飛びにそっちに聞きに行くのは可哀そうだし…で、あなたに聞いたのに。わざわざ聞いたのに。結果が苦情かい。。。

何のためにわざわざ一旦確認の時間を取ったのか。。。それを防ぐためにわざわざそういう行動を取ったのに、わざわざ避けたかった結果に導くために時間をかけた形。

もう、本当に、二度とオマエには聞かん、と思ったよ。まじめに私の中のAの評価は10段階の5位から2位に下降したね。

一番、納得できずモヤモヤするのが、わざわざ聞いた意味が全く無い、寧ろ聞いたことによって悪い結果になったこと。私の判断の意味が無くなったこと。

 

 正直、Aの性格的にあの役職は向いてないと思う。若しくはもっと心を入替えて取り組むか。他の人はもっとこちらの意図、主旨を正確に理解しようと耳を傾けるし、「考えてから口から言葉を発する」。それが普通だけど…。

 マジで、あの子大丈夫だろうか…。

 と、私は怒っている。私が原因になるし、私が怒られるし、私の評価につながるし…。まぁ、純粋に犯したミスなら別にいいけれど、今回の件が私だけのミスとカウントされるのはどうにも納得しがたい部分がある。それならあのAの存在意義はないでしょうに、と。

 

 あーこのモヤモヤが消えるのはもう少し日数かかるだろうな。ここにこうして吐き出したとしても…。

 

 やっぱり、なんというか、私は組織内で仕事するのは向いていない。一人でやっていたい。もういろいろ経験してきて、そう結論は出ているのだけれど、事情があって仕方なく、あの仕事をしている。もう早く別のことを考えないと。いろいろ面倒なことに巻き込まれる前に。。。

 

 そう、もう一人、イマイチな人がいるが、その人も同じく基本「適当、無難、ことなかれ、省力的」な感じ。え、それでいいの?と私にしてみたら思うような対応を、平スタッフの頃からしていたので、あまりいいようには思っていなかった。

 なので、あまり質問しない。

 

もうとにかく、昨日は最悪だった。素直に自分の非を認めるのに抵抗のある出来事であった。

以上。

 

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普通が少ない…と思う

 前にもここに書いたかもしれないけど、忘れた…。

 “芸能人”て、本当に不幸な生い立ちの人が多い気がする。若しくは、表向きの家庭環境は何不自由無い生活だとしても、本人自身が何かしらの問題を抱え非行に走っていた、とか。

 なんなんでしょうねぇ。不思議ですわ。

 ま、そうかと思えば、一方では裕福、恵まれた家庭、親もそれなりの地位、学歴・経歴の方々だったり。

 これぞまさしく“二極化”。私の印象では“普通”のそこらへんの子が芸能人で大成したっていうのは少ないんじゃないかなと思う。しかも、裕福よりも圧倒的に不幸・貧乏・苦労・非行経験者が多いような…。あ、でも松田聖子なんかは普通っぽい気がする。詳しいことは知らないけれど…。

 

 で、このテーマを持ち出した本題は↓コレ。

 

 

 この方は元ヤンとよく言われている。デビュー当時、見た目が可愛らしいし、アイドル全盛時代だったから普通に“可愛いアイドル”なんだなぁくらいしか思っていなかったけれど、事務所に無断で髪を切ったり、「なんてったってアイドル」を歌ったり、というところから少し普通の可愛いアイドルというイメージから変化していった記憶がある。

 その後も、ちょっと冷めた、引いた視点で語ったり、普通のアイドルとは違う活動に力を入れたり、協働する人達もアイドルの世界とは関係の薄そうなアート・ミュージシャン系の人だったり。そういうことをしたくなる、何か普通で収まるのでは自分が納得できない、既成概念や固定観念、社会通念に反発するような精神性が滲み出ているような気がして、何か“過去”を持っている人なんだろうなとは思っていた。

 でも、別にファンでもないし、そこまで一目置くほどにも感じなかったので特に知ろうとせずにいて、まぁ知らずにいたけれど、なんと、きっと彼女はデビュー34周年位だろうか、その34年を経て、ついに私は、その彼女から感じていた“過去”の事実を知り、それがもろに自分の何となく推測していたこと通りだったので「あー、やっぱりそうだったのか」と腑に落ちた次第。スッキリ、である。

 たしか、きょうだいが大勢いて、末っ子だったんじゃなかったっけ…。その家族が家庭崩壊し、父親と二人生活を味わって、経済的にどうだったのかは記事から分からないけれど、まぁ精神的には多感な少女時代に相当の影を落としたことだろうとは思う。
(「父の会社が倒産」ということは経営者だったのかな。それならそこそこ経済的にも苦労したのかしら…)

 これは全くの私の憶測だけれど、そんなことからグレて非行に走ったけれど、ルックスが可愛いし、金銭的にも芸能人になって売れれば苦労しなくて済む、とでも思ってスタ誕に応募したとか…。スタ誕が賞金制だったかはもう覚えていないけれど、もしグランプリになって賞金ももらえるのなら、それにも期待して応募したのかもしれない。他にも何かその時の生活、人生を変えたいという願望もあったのかもしれない。

 とにかく、これでようやく納得。だからこの人は冷めた視点(好意的な人は“悟っている”とでも言うかもしれないけれど)で物事を捉え、発言し、行動してきたんだな、と。それなら全然、それで普通だな、と。

 

 何というか、私は、世の人々(彼女と同世代、先輩、後輩等々)がやたらと彼女を過大評価するのがなんかあまり釈然としないというか、別にそこまで…と正直思っていて、それこそ引いた目で世間の動向を見ている節があるのだけれど(※最近、何かの雑誌でも結構話題になってましたしねぇ)、結局、人は、経験がその人を作るということであり、それ以上にもそれ以下にもならないということで、山口智子にしても然り、特別騒ぐことではないし、いたって当たり前だよねぇ、という感想が残るのみ。

 だから、へんに騒いでいるのを見聞きすると若干「なんでそこまで」とか「なぜそんなことくらいで」とか思ってしまう。

 

 と、まぁ、偏屈人間の私であった。

 

 以上。

 

 

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マイケル・J・J

 あるビデオ(動画)がきっかけでMJに関心を持ち、あまりにも深すぎて、いろいろ調べたり、いろんな動画を見たりして、もう1ヶ月半以上貴重な休みを殆ど費やしてしまっている。

 

 昨日も、せっかく休みを調整して、時間を作って別のことをしようと思っていたのに、あることが気になり、それを調べていて、いろんなサイトを見ていて、前にもヒットしたMJに関して膨大な記事を作成しているサイトが引っ掛かったものだからそれを読んでいたのだが、ほぼ「タイトル」と関連のない話が延々と続いていき…。

 それでもいつか軌道修正されて、私の知りたいこと(タイトル)に戻ってくるかと、延々5時間我慢して読み続けたが、観点、論点ずれる一方で全くだめ・・・。

 やっと諦めたはいいが、もう他の用事をする時間も無くなり…。

 

 とっても時間の無駄使いをしてしまった今回の特別な休みであった。

 とても後悔が残る。。。。

 

 あー、嫌だ。もうあのサイトは見ないだろう。前に見つけた時は頑張って読み込もうと思ったのだけれど、今回少し読んでみて、どうやら私のイメージしていたものと違うことが分かった。

 

 唯一、それだけ、たったそれだけが収穫の休みだった。

 

 それだけの投稿である。

 

 

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とうとう実行

 なんと、今年初の投稿か…。

 ま、そんなものだろう。この私にしたら。

 それはさておき、つい先程、20年近くずっと考え続けていたある計画を実行した。

 とは言っても、全くそのままの計画ではないのだけれど、今回実行に移すにあたって色々比較検討した結果、似たようなシステムのところ(団体)を選んだという次第。

 

 様々な状況、環境下に置かれ、まともな食事、教育を受けられないような困難な状況にある子どもを支援すること。

 昔、最初の頃は一人の子の里親になることを想定していた。そういう情報を目にしたから。でも今回、実際にしたのは所謂里親になることではなくて、その地域全体(の子ども達)を支援すること。コミュニケーションを取る代表として一人の子どもが選ばれるらしいけれど、その子だけを支援するのではない。

 これについてはまた少し色々考えることがあるけれど、それはまた書ける時間があれば書くとしよう。

 とにかく、20年来の計画、念願が叶って本当に良かった。ホッとした。子どもを産まなかった自分としては、その代替行為的な、「私たちみんなの、地球の子ども」が少しでも健全に育つ手助けをほんの少しだけすることができることに喜びと安堵を感じる。

 ま、結局こういう行為は自己満足の部分が大きい。それでも何もしないよりはマシだと思う。

 

 で、だ。

 まぁ、ずっといつするか、いつするか、と考えてきて、たまたまもうそろそろしないといけないし、出来るタイミングかな、というのもあったのだけれど、その大きな後押しになったのが、ここ3週間ずっと見続け、聞き続け、読み続けているマイケル・ジャクソン氏である。

 それは今年の1月中旬。ロシアがシリアのアルカイダ系組織の刑務所を空爆したというニュースを読んだ時だったと思う。

 その関連ニュース欄にフィリピン・セブ島の刑務所の囚人ダンスに関する記事があり、それを読んで、動画を見てビックリした。その時踊っていた曲がMJの「They don't care about us」だった。

 正直、私はMJのファンではないし、普通に聞いていて、嫌いではない程度の存在だったし、昔の全盛期のヒット曲とかアルバムは当然聞いていたし好きだけれど、この曲は知らなかった。1995年発表だったらしい。

 その後、その刑務所のダンスに興味を持って動画を色々見ていたけれど、特にMJに関心が移らなかった。

 ところが、先日、私が尊敬する映画監督マイケル・ムーア氏のツイートでまたこの曲が採り上げられていた。そこで、本家(MJ)のショートフィルムを見た。

 何だか昔の全盛期の雰囲気と違っていて、いつから変わって行ったのだろう、と興味を持って、他のフィルムも色々ずっと見ていた。1日見ていた。他に何もせずに。そうこうしている内にどんどんMJに興味が湧いてきて、文字情報も色々調べていくと、もう彼の人生全てに関心を持ってしまった。

 ぶっちゃけ、全盛期の頃は普通に好きで聞く程度のアーティストだったけれど、今はアーティストとしても人間的にもファンになってしまった。もうこの世を去って7年近く経とうとしているけれど、せめて一度でもライブに行けばよかったとすごく後悔している。アーティストとして、歌も踊りもエンターティナー性もその才能の全てが天才的と思える。本当に生まれながらのエンターティナー、この仕事をする為に生まれてきたんだろうなと思う。天職という言葉では言い尽くせない程の才能、素質を纏った人。それと引き換えにしたものも大きそうだけれど…。

 で、私の子ども支援行為とMJの関連は、まぁ、MJは子ども好きであり、子どもが傷つくこの世の不条理、理不尽な出来事を無くそう、世界を変えようと曲を作り、呼びかけ、活動をしていたことをひしひしと感じて、私は彼のショートフィルムを見ながら、彼のインタビューを聞きながら、その背景にある彼の私生活、生い立ち等々のことに想いを馳せ、何度泣いていたことか、と…。勝手な思い込みかもしれないし、単純過ぎるかもしれないけれど、何というか、彼の表情とか話し方を見たり、聞いたりしていると理屈ではなく、何か心に響いてくるものがあって感極まってしまったんですね…。

 

 と、そんなこんなで、MJに倣って、子どもが幸せに生きられるように、自分にできることをいよいよする時が来た、って感じで、決行したわけですね。ちょっとホッとした。これで死ぬ前に遣り残したことが一つ減ったということで。

 

 MJについてはこれから死ぬまで追求、研究、堪能していきたいと思う。膨大な資料、財産(作品群)を残してくれているし。いい余生の楽しみができた。

 当時はマドンナ、シンディー・ローパーが好きで、彼はその次とかまたその次くらいだったんですねぇ。マドンナの初来日には行ったけれど、MJには行かなかったという…。うーん、本当に残念である。

 しかし、今回集中的に情報吸収したおかげで、彼や彼周辺の事で全然知らなかったことを沢山知った。読みたい本も沢山ある。徐々に揃えて読んでいくつもり。

 でも、今回の収穫の一つは彼がカッコいいということが分かったこと。見た目や全身から漂う雰囲気、しぐさ等々、いやぁ、なかなか本当にカッコいいお方です。そして優しい。本当に優しさが滲み出ている。まぁ、カッコ良さの好みとしては、やはり若い時のほうがいい。痩せた体型、顔の整形具合、メイクの加減…。やっぱり80年代が一番好きかな。辛うじて私生活がおかしくなる93年位まではまだいい気もするけれど…。

 

 これからは、あたの好きなアーティストは誰ですか?と聞かれたら、堂々と「マイケル・ジャクソンです」と答えよう。まだまだ“俄か”ですけど…ww。

 

 


Michael Jackson - Heal The World

 

 

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ジャンボ

 いやぁ、久々だったんだなぁとビックリした。前回から3ヶ月も経っているなんて…。その間ももちろんいろんなことがございましたねぇ…。というか、最近、12月になって何となくふと思うのは「今年は最初から最後まで、“健康”に囚われた一年だった」な、と。もう買ってから2週間位経とうとしているけれど、なんとなく、不自然なモノを受け入れるみたいな感覚が引っ掛かってまだ未実施なんだけれど、もういよいよ飲もうと思っているのが人生初となる「サプリメント」。もう、歳には本当に勝てないというかなんというか…。前記事の千葉さんが他界した年齢まであと1年と迫った位、おばちゃんになっているというのに、若いころよりも過酷な働き方をしているし、食生活は酷くなっているし、なんだか、私の生活自体が“不自然”極まりないんだが、まぁ、その生活を変えるというか、“普通”にすることも出来ない状況・事情があるものだから、老化によって退化・衰退・低下している部分は化学的な力に頼る外ないということで、この歳になって初のサプリメント。サプリデビューをするのである。今夜から。

 

 本当に今年は元旦の「首の金縛り」から始まって、人生で一番酷い肩こりだとか、ふくらはぎのこむら返りだとか、慢性全身疲労感、倦怠感、物忘れ、中性脂肪コレステロール、胃のポリープ、そして、血糖。白髪も一段と増えて、皺も深くなって、って、はぁーー。本当に真面目に考えていると嫌になる。せっかく身体の不調を少しでも回復、改善させようと、いつもの如く調べに調べて、必要物も揃えて「さぁ、はじめよう!」と思った矢先に、仕事で大きなストレスと直面し・・・・。身体の不調を誤魔化しながら、怒りをバネに仕事の課題をどうにかやり過ごして、やっと少しだけマシになったかなと思ったら、他にもいろいろ身体が不調サインを出してきて…。

 

 中性脂肪コレステロールも重大なんだけれど、やっぱり糖尿病は恐いと思うので、今は「血糖値」をなんとかしようと思っている。とかいいながら、たまの休みには普段食べられないお菓子とかをやっぱり食べてしまうんだけど、これ、ダメなんだよなぁ。でもなぁ…。意志の弱い私・・・。

 「血糖値」について色々、色々調べている内に、ある仮説に辿り着いてしまった。というか、自分としてはほぼ確実なんだけれど。

 現代日本人の食生活は加工食品まみれであり、肉食であり、炭水化物過剰摂取である。とにかく野菜、魚、植物性タンパク質が少な過ぎる。故に、アレルギー(アトピー等)疾患が多く、認知症が多くなっている。認知症については、体内で産生できない必須脂肪酸のオメガ3脂肪酸を食事(食物)から摂取することが極端に減って、脳への影響を招いていると考えられる。お年寄りでもどれだけの人がどれだけの量の魚を食べていることか。亜麻仁油、エゴマ油なんてどれだけの人が摂ってきたか。

 私はもう、自分のこの不調によって開眼させられたというか、何というか。人間は「食事」「食習慣」を大事にしないといけないということに辿り着いてしまった。自然の恵みとは対照的な人工的な食べ物、肉食、嗜好性の強い食べ物にばかり偏ることで、どれだけ自分の身体を不健康に導いているか。そして、もう一つ大事なことは「運動」。楽してる場合ではない。なんで横に広い階段があるのに、わざわざその前を通過して、細い狭いエスカレーターに人と密着いや近付いて乗らないといけないのだろう。自分の足で上れよ、進めよ、歩けよ。ホント、恐いなぁ。固定観念て。ま、私が極度の人混み嫌い、人口過密空間嫌いというのもあるけれど、見知らぬ人と接近して、何秒間もその状態で機械に運んでもらうより、悠々と人に近寄られることなく、ストレスなく、階段を上り下りしているほうが心身ともに健康でいられることを実感する。

 

 「食事」「運動」。そして「姿勢」「深呼吸」。

 この4つが肝ざんす。

 

 そんなわけで、もう本当に最近物忘れが酷くて、血糖値のこともあるし、「EPADHA」を摂取するんだけれど、もう一つ「マルチビタミン・ミネラル」も私には必要ということが分かった。もうね、摂ります。摂らないと、本当に色々困るし、困ることになったらもっと困るから。自分のことは自分が責任持って対処しないと。千葉さんの言葉通り、「寄りかかっては生きられない」のでね。

 

 * * * * *

 

 長い前置きだったけれど、本題のほうが短くなる気がするけれど…。

 「ジャンボ」である。

 そう、あの「ジャンボ」。今話題の「10億ジャンボ」。

 正直、ついこの間まで知らなくて、聞いた後も自分にはそんな余裕無いし、買うつもりも全くなかった。しかし、今日、ちょっと不思議なことが起こって、ちょっと買ってみようかなという気になってしまった。

 ① 有名な「特設売り場」の近くを通った。何となく気にはなったけれど、所持金が少なかったのでやはり止めた。

 ② 帰宅して、ネットを見ていたら宝くじの話題が目に入った。

 ③ 読んでいる内に違う記事を見ていたら、今日用事で通った道に立っていて、「あれ、なんだろう」となぜか気になった銅像の写真が載っていた。

 ④ 五代友厚という人の銅像だったらしい。大阪証券取引所を創った人らしい=お金に縁がある。さらに、とってもタイムリーな、今、話題の人の様子。私はテレビを見ないのでその記事を読むまで全然知らなかった。(目が悪いし、近くには行かなかったので少し離れたところから見ただけなんだが、何となく米のリンカーンの銅像のような雰囲気が漂っていた)

 ⑤ 今日が大安だったらしい。つまりは吉日に買いそびれているわけだが、またそれも何かの縁。最終日は仏滅らしいが、さて・・・。

 ⑥ 宝くじの記事の中で特に印象に残ったのが、夫婦(後にご主人が他界し、その後は奥さんだけ)で50年間1,000円(!)ずつ買い続けて、漸く1000万円当てた人がいるという話。すご過ぎる。その他にもやはり「コツコツ派」が多く当選していた。やはり買わないと当たらないのだ。

 

 というわけで、もう気分は10枚は購入する気満々なのだが、いつも、というかここ数年、宝くじやtotoやBIGのことを考える時に思うのだが、私がもし1億でも3億でも5億でも7億でも当たろうものなら、手元に残った額の半分以上(とりあえず、必要分(1千万もあればいいかしら)を除いた額)は全部寄付など有効に使うと1000%誓えるのに…って。

 今というか、前からだが、すごく気になっているのは、とりあえずシリアとか、パレスチナとか、アフリカとかの難民、子ども、病人のこと。国境なき医師団国連難民高等弁務官事務所赤十字ユニセフ国際連合世界食糧計画等々に寄付しまくる。あとは日本でも資金がなくて問題が解決できていないNGOとか重要な活動に寄付する。

 私はもう長く生きているつもりはないから、所有欲も無くて、あと少し生きていられる分くらいのお金があればそれでいい。親を見送れば、もう役目は終わったも同じなので、それこそいつでもいい。だから、もし私がそんな大金を手に入れれば、間違いなく億単位で寄付できる。そうすれば、寒さで凍え死にそうなシリアの難民家族にも暖かく過ごしてもらえるだろうし、今の状況が改善されるまでの命の繋ぎにはなると思う。とにかく、悲しい現実だけれど、お金が無いと命も尽きる世の中なのだ。患者に医療を無料で奉仕するには、誰かがその分を払わないとできない。

 本当に、真面目に、そうするんだけど。こんな私には当たらず、きっと、いろんな物を買いたいと思っている人とか、多額の借金を抱えている人とか、とにかく誰かにあげるなんて発想の無い人の元に当選金は運ばれて行くのだろう。

 

 そんなわけで「ジャンボ」。とりあえず10枚だけ買ってみるかなぁ。

 中途半端に“数百万”とか当たると、ちょっと頭を悩ましてしまうんだけど、まぁそれでもいくらかは寄付しますけどね。いや本当に、私がもっと大金持ちなら、難民用テントとか暖房具とかドサッと送るのになぁ。。。

 

 では、こんなところで…。

 

 一昨日あたりから、寒くなって、また肩こりが酷くなってきた。今もこれを打っていて、右肩の硬直具合ったら。。。はぁーーー。。。

 

 

 

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雑多で不満な日々

 はじめに…、

 お題「人生に影響を与えた1冊」に答えておくと…、

『寄りかかっては生きられない』(千葉敦子 著)である。

 wikiを見れば分かるけれど、学習院出て東京新聞に入ってハーバードへ留学して、企業にも勤めて取締役もやったりして、後にフリージャーナリストになってNYに移住して、乳がんで47歳で亡くなった才女。

 その頃の時代性もあると思うけれど、私は素直に憧れた。

 まず、元々日本の大学で勉強したいとは全く思っておらず、NYで勉強して、そのまま働きたいと思っていた。関心があったのは国際関係。

 が、親が病気になり、家の手伝いをしなくてはならなくなり、留学なんてシャボン玉がはじけるように消えた。若干19歳。そんな状況にある自分の気持ちをどうにか自分の中で納得させたくて、何か拠り所的な物として真っ先に探したのが本。自分と同じような、どこか少しでも共通する部分がある人の書いた本を読みたくて探した時にまさに今の自分の気持ちを代弁しているような本のタイトルを見つけた。

 『寄りかかっては生きられない』。

 親にも誰にも寄りかからず、自分の行動、自分の人生は全て自分が責任持って、自分だけを頼りにする外ないと痛感していた自分にピッタリのタイトル。

 この1冊を読んで、自分の人生の指針のような物は明確になったと記憶している。

 何かにつまずいたり、上手くいかないことだらけでも、誰にも頼らず、自分で対処しなくては…と言い聞かせて生きてきている。

 実際、細かな、日常の些細なこと、たとえば家事だったりとかは今は手伝ってもらっているけれど、そういう瑣末なことではなく、もっと根本の部分の話。

 他にも、人生の大きな岐路にあって、その最初の原動力としての応援もしてもらったことはある。でもそれはあくまでも借りのつもりで、他の兄弟と同程度までは許されるかなとは思いつつ、でも出来る限りは借りは返すつもりでいる。いや、まぁ、上の兄弟に比べれば、全然孝行娘なほうではないかとは自分自身では思っているけれどね。

 ま、それはさておき、

 すごくいい著者と巡り会えた気がして、その後も『ちょっとおかしいぞ、日本人』や、『死への準備日記』などを読んだ。

 この辺りの影響も、私がちょっと後ろに下がったところから日本人について考える部分に現れている気がする。

 ま、その後、自力で留学して、またまた色んな事情で途中で帰国せざるをえなくなって、それからはずっと日本にいるわけだけれど、その海外暮らしの経験も今の考え方に多分に影響をもたらしているとは思う。ま、もともとちょっと変わっていたのもあるのだが…。(高校生のころから日本という国に嫌気がさしていたし…)

 あのまま、すんなりアメリカに留学していれば、間違いなく、同じような道を目指していたと思う。千葉さんほどの才能も人格も持っていないので、所詮、下っ端で小さな自分の世界で満足しているだけの人生だろうとは思うけれど…。

 

 本当に、人生、だれの、どんな影響で、どんな風に変わっていくか分からない。

自分だけ努力すればいいというものではない。家族も他人も含め、人と関わって生きているかぎり、いつ、何が起こるか分からない。悔やむに悔やめない悶々とする状況というのがある。仕方ない。

 

 長くなったけれど、とりあえず、あの、そう、人生初の大きめの挫折を味わった時に読んだ本『寄りかかっては生きられない』。これは永遠に私の心に残る一冊である。

 

 

****

 

 それはいいのだけれど、もうなんだか、最近、ダメなのだ。

 忘れ物ばかりする。それによって不要なストレスを抱える場面が最近多い。

 仕事で納得いかないことで、本来、第三者的に冷静に距離を置いてなるべく関知しないで置こうと思うことに嫌が応でも関わらさせられストレスを感じている。もう、うっとうしいので辞めようかなとも考えている。私の主義主張、思想的にどうにも承服し難い為。

 ちっとも落ち着かない。休養できない。忙しい。

 予定通りに行かない。貴重な時間を浪費する。

 雨ばっかりで気分も落ちるが、自転車通勤もできず、徒歩になり、さらに体力消耗させられ、心身共に疲労する。

 アベのアホ内閣のやることなすこと全てが腹が立つ。

 マイナンバーも嫌だし、消費税10%に上げる気満々で既に既成事実化させようとする政府のやり方が本当に鬱陶しい。腹が立つ。

 やっとどうにかこうにか家に戻って、ちょっと落ち着こうかと思ったら、clome系のブラウザで動画が上手く見れなくなったらしくて、大事な局面の安保委員会の中継もすぐに見られず、映画も観られず。どうにかIEで観られることは分かったけれど、なんだかなぁ。不満。

 そうして、やっと国会中継見て、状況を一応把握して、さぁ、次に自分のやる事をやる、若しくは映画で勉強しようかと思ったら、銀行のオッサンから電話。

 昔の担当からはもう何人も変わって、きっと初めてのヤツだと思う。しかもちょっと歳もいっているからか電話口の態度が横柄。こっちも世話にはなったけれど、そもそももう金融機関系は大っ嫌いなので、それなりの応対をした。特に親切丁寧ではなく、普通に事務的に、という意味。

 また、昔の嫌な記憶が蘇ってきた。

 本当に鬱陶しい。真面目にコツコツ働いて払っているんだから何も文句無いだろうが。利息を余分に徴収させてあげて、儲けさせてやっているのに。

 本当に嫌だわ。金融系の人間。オメエ、自分で確定申告すらしたこと無いんだろう。適当なこと言うな。数字遊びと電卓叩きが主な仕事のサラリーマン。他人のお金を右から左に動かして利ざやで儲けるだけ。本当の意味の勤労とは程遠い。

 

 もう、どいつもこいつも。あれもこれも・・・。面倒臭い。

 この一言に尽きる。

 

 面倒臭い。全てが面倒臭い。

 

 でも、お世話になった人への義理、恩はちゃんと果たして、返してから次のことを考える。ま、すぐにこの世からおさらばするだけだけど…。

 でも、不義理のままでは絶対に死ねないから、なんとしてでも、自分の後始末は自分でつけてから好きなようにする。今、私が生きている意味は99%これ。

 アンタらみたいに人の税金で高級品買って、高級料理食べて、偉そうなこと言って強権、横暴、米国隷属、売国政治したり、人の金を集めて、それを元手に金利で儲けるようなずる賢い仕事しているくせに横柄で高慢な態度しかできないような人間とはわけが違う。自分の分はわきまえているし、何がこの世でだいじかもわかっている。

 

 もう、本当に余計な人間たちと関わりたくないのだ。鬱陶しい。面倒くさい。

 一人静かに、ゆっくりゆったり、落ち着いて、慎ましく、質素に生きていたいだけ。

 贅沢はしたいと思わない。もう物も要らない。粗食で十分。額に汗して田畑を耕し、テメエの食いぶちはテメエでどうにかする。自給自足。自分の足で歩いていく。歩けなくなったら、それが寿命。起き上がれなくなったら、それが寿命。延命なんてとんでもない。誰のため、誰が喜ぶための行為なのか。自分に余裕があることで人が困っていれば助け合う。困ったときはお互い様。そうでない時は極力互いに干渉せず。個々を尊重。それが普通だろう。

 

 とりあえず、またぼちぼち、現実的な近未来の生活計画を立てていかなければならない時期が来たようだ。ぶっちゃけ、気が重い。そういう人間達とやり取りしないといけないから。でも、自分が蒔いた種だから、最後まで自分で世話して摘み取らないとね。

 

 とはいっても、所詮、ちっぽけな人間なので、溜息の一つ、二つ、三つ、四つは出る。

 はぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。。。

 

 

 

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by Matthias Rhomberg 

 

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